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『Keiko』に関する個人的な話

 1961年に設立され、当初は日本内外の芸術映画の配給をしていたが、独立プロとの提携で映画製作に乗り出し、1980年代には森田芳光など、若手監督を積極的に採用した作品を製作するものの、1992年の新藤兼人監督『東奇譚』を最後に活動を停止した日本アート・シアター・ギルド。筆者がまだ実家(秋田県)にいたころ、兄が秋田市の大学に通い、映画研究会に入っていたことで映画をかなり観ていて、おみやげにチラシや割引券を持って帰ってきてくれていた。その中でも、今はなき秋田東宝スカラ座でよくATG作品が上映されていた。ATG作品ってどんな映画なんだろうと興味が湧いていたが、なかなか観る機会に恵まれなかった。実家近くの映画館で市川崑監督の『病院坂の首縊りの家』と2本立てだった東陽一監督の『サード』を見逃し(そのときはリチャード・ドナー監督の『スーパーマン』の1本立てを観てしまった)、ようやく、藤田敏八監督の角川映画『スローなブギにしてくれ』と2本立てだったクロード・ガニオン監督の『Keiko』が初めて観たATG配給作品だった。その後、東京に出てきてからは名画座やオールナイトでATG作品を夢中で追いかけた。今ではDVDやブルーレイ、配信などで手軽に観ることができるが、それまではテレビ放送や名画座で観るしか方法がなかった。『Keiko』はかなり前のフジテレビの深夜で放送されたのをビデオテープに録画して何度も観てはいたものの、昨今では映画館で観る機会もほとんどなかった。ようやく発売されたDVDやブルーレイはガニオン監督が監修しHDテレシネ化されたが、劇場やテレビ放送で観たスタンダードサイズではなく、ビスタサイズに変わっていた。今の時代に合わせたものだろうが、やはり従来のスタンダードサイズで観たいというのが正直な気持ちだ。
 物語は若芝順子演じる23歳のOL・恵子の日常を描くもの。高林陽一監督の『往生安楽国』を観ている恵子が中野隆演じる男に痴漢に遭うところから始まり、中西宣夫演じる高校の恩師・野口先生との初体験、池内琢磨演じるイケメンのカメラマン・勝との交際(後にある事実が発覚する)、そして、会社の同僚に言い寄られるのが前半。後半はきたむらあきこ演じる同僚女性の和代と同性愛的関係になり、同居生活をする姿が描かれる。終盤は父親にお見合いを迫られた恵子がお見合い相手の男(冒頭の痴漢の男と容姿は似ているが、同一人物とは断定されていない)と結婚することになり、和代と離れることになる。
 16ミリフィルム、ほぼノーライトで撮影され、音声も同録らしく、音声レベルの低いところもあるが、それがかえってリアルな質感を生み出している。即興的な演出がされたということで、出演者が交わすセリフも生々しく、恵子の私生活をのぞき見しているような、劇映画でありながら劇映画ではないような、ドキュメンタリータッチが徹頭徹尾に貫かれている。恩師との体験の後、恵子の様子がそれまでとは変わっているのを髪型の変化や衣装、タバコなどの小道具を使って表現しているのも実に上手い。そして、何よりも印象に残るのは深町純が担当した音楽だ。シンセサイザーを使ったメロディアスな旋律は映画にも合っているし、数ある映画音楽の中でも傑作のひとつだと思う。公開当時、サントラアルバムが発売されたと記憶しているが、なかなか手に入らなかった。橋浦方人監督の『海潮音』と併せて、デジタルリマスターしたCDが発売されないかと期待しているが、当の深町が2010年に亡くなっているので、どうなるかは不透明だ。だが、できれば発売してほしいと思う。
 最近、U-NEXTで久々に観直したとき、ラストシーンで時折笑顔を見せるものの、急に真顔になる恵子の表情がとても気になった。その前のシーンでなぜ恵子が急に結婚を決めたのか、なぜ和代と離れようと思ったのか、その説明はまったくない。それは観客の解釈に委ねられているのだろうが、筆者自身は彼女にとってのバッドエンド(妥協)なのではないかと思った。製作されてからもう40年以上に経過しているから、その当時と今と価値観も考え方も違うだろう。今の20代や30代の人たちがこの映画を観てどう思うのだろうか、興味がある。

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