ソウルドリブンな日々。
「酸素ボンベを持って、お迎えにあがりますね。」
渡航する1週間前に、現地のコーディネーターから届いたメッセージで、自分が1週間後にボリビアへ行くことを思い返し、アムステルダムの自宅でその準備を始めた。
決して忘れていたわけでも、その渡航が億劫なわけでもない。むしろ、ここから、また新たに響きあう世界の可能性に、自らの魂が躍動し、この命が喜んでいるのがわかる。
言うならば、ソウルドリブンな日常を僕は今、生きている。
まことを択び続ける決意を新たにした日
2019年11月3日、文化の日。僕は国立京都国際会館にいた。京都フォーラムの周年行事で、両親、家族、会社のみんな、友人など、僕の身近で大切な人達を前に、自らの思想や哲学に加えて、これからの起業家としての構想と決意についてを発表させてもらった。
後日、両親がその日の感想を聞かせてくれたとき、ようやく本当の意味での親孝行を生きる始まりを実感することができた。
自らの魂が喜ぶ生き方を、どこまでも生き抜く決意を新たにした僕は、あの日から、今日までの約1年間、これまでの人生の中で最も前向きな流れ、そして自らと組織の進化を実感している。
また、その進化とともに自ずと変わる自己の世界と、無限に広がる世界全体の可能性を、日々生きることができる喜びを噛みしめている。
過去の延長として、今を思考する自己を自覚した瞬間に、その思考を即断ち切り、理想的な未来を志向し、常新たに、今この瞬間のまことを択び続ける日々は、まるで座禅を組んでいるかのような日常でもある。
「たった1年で、ここまで変わるのか?」
生活は、大阪とアムステルダムの2拠点となり、掲げた目標に向かって、わき目もふらず、只ひたすらそれに明け暮れている。
ふとしたときに、この1年の変化を客観視すると、多少の驚きはあるが、今からの5年間は、更に大きな変化を遂げていくことを確信している。
恐竜が鳥に変わったように、狼が犬に変わったように、僕たちも今の僕たちとまったく異なる何かに変わろうしている途上に立っている。
人類が飛躍的に進化できる可能性としてのコロナ
世界を一変させたコロナショックを、マスク需要の増加、デジタルトランスフォーメーションの加速、人が社会と距離をとる自粛文化の始まりに留めていてはいけないと僕は思っている。その選択は、僕達も将来世代も、本当に望んでいることなのだろうか?
コロナが教えてくれたことの本質は、世界は一瞬にして変わるという可能性だ。
人とインターネットを媒介に、国境を超えて広がり続けるその可能性に、僕たちが何を見出し何を変えていくのか。
これからの世界と将来世代の生活には、今を生きる僕たちの生き方が繋がっていく。
今だからこそ、一人ひとりが理想的な生き方をともに志向し、今の自己と世界を受け取り直すことができるし、その瞬間から広がる無限の可能性をそのまま生きる道を、僕は択び続けたい。自らの魂が喜ぶ、ソウルドリブンな生き方を。
たどり着いた場所ボリビア
気がつくと24時間の移動を経てボリビアのサンタクルス空港へ着陸していた。着陸した瞬間、機内にいるすべての常客がいっせいに拍手をして無事を喜び合い、クルーを賞賛した。そのとき、ほんの一瞬だけど、機内の見知らぬ全員がひとつになったような感覚になった。そんな瞬間を体験したとき、僕はまた、昨日まで生きてきた世界の狭さや小ささにまた気づくことができたのだ。
つづく
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