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トルデジアン 2022 ⑤ レース編 (ドンナス〜グレソニー)
レースはセクション4。ようやく中間地点を迎える。
このドンナス〜グレソニーの区間は距離57.1km、獲得標高6,058mある。このセクションだけでも、難易度の高い山岳レースが作れるほどだ。山岳耐久レースと銘打っているハセツネでも、距離71.5km、累積標高4,582mである。
このセクションには標高2,500mを超える峠はない。そのため、一見大したことはなさそうに見える。しかし、ペースを上げにくい地形も多く、また疲労が溜まり始まる頃でもあり、非常に苦労する。セクション2とは異なり「分かりにくく」難易度が高いセクションとなる。
Aゴールのプランでさえ、この区間は24時間設定としているほどだった。時間のかかる厳しいセクションと認識していた。
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100マイルを超え、174.5kmある。
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しかし、標高330mのドンナス スタートのため、
コーダ小屋までの上りだけでも2,782mある。
充分ではないといえ睡眠は取れた。のんびりとドンナスの街並みを楽しみながら進む。
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2000年前に建てられたオリジナルのままだとか。
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ドンナスからコーダ小屋までは、長い上りが続く。住居や家畜小屋が並ぶ昔からの生活道を、幹線道路が寸断している。秩父のトレイルが奥武蔵グリーンラインで分断されているのとそっくりだ。斜度の感じも、彩の国と似ている。
こういうトレイルは春に散々やりましたよ、と思いながら歩く。過疎が進んでいるのか廃墟も多い。人が住んでいた雰囲気が残っており、不気味さを感じる。
Tor Des Glaciersの選手を抜く。このセクションは、コースの大部分がTOR450と330で重複している。連日の暑さでGlaciersの強者たちも疲労が激しそうだ。
森林限界を超えて、コーダ小屋が近づいてくると霧が濃くなっていく。風も強くなっていくが霧は晴れない。眠気も出てきたが、コーダ小屋でベッドに入ろうと先を急いだ。
そして、コーダ小屋23:35到着。しかし、何か変だ。仮設小屋だ。コロナ対策だろうか、小屋に隣接して仮設小屋が設置され、エイドとなっていた。これではベッドで寝るどころではない。ガクッと疲労が湧き出るが、とにかく食事をする。この小屋では感染対策にシリアスで、食べ物もスタッフが取って渡してくれた。そして、テーブルに突っ伏し仮眠しようとする。しかし、さすがに人が入れ替わり立ち替わり入ってくるので、とても眠れない。
完全に眠さにやられる前に、バルマ小屋に向かうことにした。コーダ小屋からバルマ小屋まではそんなに距離はなかったはず、と2019年を思い出しながら歩き始める。
しかし、2019年は日中の移動。今回は既に眠気のある中での夜の移動。比較にならなかった。とにかく眠い。セクション2のCol Losonに匹敵する眠さだ。トレイル傍でヘッドライトを消し目を瞑り、脳を休めては先に進んだ。トレイルの茂みに身体を隠し、いびきをかきながら寝ているランナーがいた。深夜、標高2,000mを超えているのに、よくあんなに眠れるものだと感心してしまった。
結局、バルマ小屋に着いたのは5:05。コーダ小屋での休憩も含めてだが、8.7kmの区間に5時間30分もかかってしまった事になる。
バルマ小屋ではまずパスタを食べる。エイドでのエネルギー補給は常に最優先だ。そして、ベッドへ。1時間30分寝かせてくれとお願いしたが、1時間までと覆らなかった。山小屋のベッドは、ライフベースとは比較にならないくらい寝やすい。ベッドに入ったと思ったら、次の瞬間には起こされていた。しかし、確かに1時間経っていた。
小屋には人が溢れかえっていた。ベッド待ちのランナーらしい。私の後が一番のボリュームゾーンだったのだろう。これでは、ベッドは1時間までと制限するのも納得だ。
またパスタを食べ、カプチーノを注文し、更にエスプレッソを飲んだ。たった1時間の睡眠で、また次に進む気力が湧いていた。
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カプチーノは2ユーロ。エスプレッソは1ユーロだった。
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朝になれば、池のほとりに建つ、美しい小屋だった。
バルマ小屋を過ぎれば、セクション4も後半戦。バルマ小屋から先のルートは、2019年のことをよく覚えていない。歩きながら「あー、そうだ。こんな所だった」と思い出す感じだ。
雲が多くなってきたが、快晴の天気に3日間痛めつけられた身体には、ありがたかった。疲労感はあるが眠気も取れ、淡々と進む。
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このベーコンはその場で焼いており最高だった。
当然、おかわりした。
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ベーコン パワーでぐいぐい登れた 。
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大きな岩が多く、歩きにくくなる。
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公式ルート表から名前がわからない。
私設エイドだったのだろうか。
このエイドでは、ワインがどんどん振る舞われていた。
よっぽど飲みたかったが、なんとか堪える。
(ちなみに、写真は撮り忘れのため、2019年のもの)
道中、日本人女性と会う。大会受付時に会話した記憶はあるが、お名前を思い出せないので、改めて自己紹介する。伴さんという女性で、やはり2019年組だった。伴さんとはこの後、抜いたり抜かれたり、道中を共にしたりと、最後まで進むことになる。
そして、セクション4はまだまだ続く。長い。眼下には、街も見えてきた。あの街に降りるのかな、とちょっと期待するが、そんな甘いはずもない。実際には、街のはるか先の谷間まで地味なトレイルをひたすら歩くルートとなる。
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下のエイドに下りてから気づく。
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これも美味しかった。当然のおかわり。
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写真右の蛍光グリーンのパンツのランナーの倒れっぷりは、行き倒れのようだった。
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Glaciersの峠の登り口はまだ先だったと、
この後、引き返していった。つらすぎる。
Col Lasoneyを越え、これで後はライフベースに向けて下りるだけだと安堵する。ライフベース前の最後のエイド、Ober Lòoに着く。食事をしていると、Tor Des Glacierに出場している、チームメイトの武田さんがやってきた。しかし、武田さんの顔は土気色だ。最初の3日間の暑さに苦しみ連日吐きまくり、その後は足が動かなくなったらしい。「途中何度も止めようと思ったが、関門をぎりぎり突破できてしまった。しかし、次のグロソニーのライフベースでの関門に間に合うか、間に合ってもほとんど睡眠時間が確保できない状態で次に進めるのか」とのことだった。
ライフベースで会いましょう、と武田さんと別れ、先を急ぐ。バルマ小屋へのルートで潰れてしまったことが響き、私も関門を意識せざるを得ない状態となっていた。現在17時。グレソニーの関門は、INが23時、OUTが翌日1時だ。このエイドからグレソニーまでは下り基調とロードの7km。関門に間に合わない状況ではないが、かといって余裕はない。
グレソニーへのライフベースには、18:36に到着した。この区間の行動時間は26時間8分となった。潰れた割には、後半なんとか持ち直せたか。しかし、130時間切りの目標はとうの昔に無理であった。目標を完走に切り替え、そのためにライフベースをどう過ごすのが最善か考えた。そして、とにかくもう潰れないように、睡眠時間をなるべく確保するため、OUTの関門2時間前、23時に出発することとした。4時間強の滞在。睡眠は2時間の計画だ。
食事をしていると、伴さんもライフベースに到着した。そして、食事を終えベッドに移動しようとすると、常田さんが出発するところであった。どこで抜かれたのだろう。「また次で会いましょう」と見送る。レース中にまた追いつけるだろうか。
レースも既に5日目。仮眠スペースでは咳き込む人も多い。私も前日から血便となり、鼻の粘膜もやられ、鼻水は鼻血混じりだ。ベッドでは、なんとか眠れた。エイドスペースに戻ると、武田さんに会う。ライフベースの関門に間に合わなかったとのことだった。しかし、やり切った、晴れ晴れとした顔に見えた。
そして、グレソニーを22:51に出発し、次のライフベース、ヴァルトロナンシュに向かった。
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フルーツ多めに、ヨーグルトもつけてみた。
補足1:
レース終了後に聞いたところによると、Tor Des Glaciersの選手はコーダ小屋で眠れたとのことである。また、トルデジアンでも頼み込んで寝ることができたとか。私の到着した時間にベッドが空いていたか不明だが、きちんと確認するべきであった。そうすれば、バルマ小屋へのゾンビ行進を避け、もっと時間の余裕を持ってレースを進められたかもしれない。自分の足でクールマイユールに着くことさえできたかもしれない。
補足2:
この記事を読んでくれた常田さんが、情報を補足してくれた。
確か…コーダの登りでまたまた睡魔にヤラれてゾンビだったところをキャッチしましたね。
一旦平らになるとこら辺で「あと小屋まで400mUPなんで、もうちょっとですよ!」と声かけしたら「次のLBで会いましょう」と返されたんで「いやいや、コーダで待ってますよ」って。
なので、コーダで池内さんの到着を待ってました笑 来たらソッコー出てしまいましたけどー。
鮮明に覚えいてるつもりだったのに、記憶はあっという間に劣化する。そして、これからもっと忘てしまうだろうから、noteにまとめてよかった。
(セクション5 グレソニー〜ヴァルトロナンシュに続く)
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