「自分の眼で確かめろ!」

Gレコ19話、注目すべきセリフは、

「……そのように教わって、お育ちになったのですな」

「教わった、教わったって……」

「自分で感じたことではないってことだよ」

「刷り込まれたということ」

 です!(断言)

 富野監督が政治哲学者ハンナ・アーレントの考えを作品に投影させている、ということを分析している論は他に結構書かれているので、そちらに譲ります。

 しかしアイーダ姫さまは、今まで物語の牽引役であったのに、この段階で本人にハテナマークを付けさせたことは注目に値します。

 よく「分かり難い」といわれるGレコのストーリーですが、物語の発端は単純で、

「Gセルフに乗ったアイーダが捕まって、ベルリが一目惚れ」→「アイーダが好きだったカーヒル大尉を成り行きで殺してしまったベルリが罪滅ぼしにアイーダについて行く」。

 で、アイーダは、キャピタルとそれを支配するスコード教と、その上にあるトワサンガ更にはヘルメス財団という、地球人の命綱であるエネルギー(フォトンバッテリー)を牛耳っている人たちに「一言モノ申す!」が持論。それが物語を引っ張っている。

 ベルリはアイーダに惚れてるから彼女について行く。トワサンガに行きたいと言えばついて行くし、ビーナス・グロゥブに行きたいと言えばついていく。まぁ、一応孤立無援の海賊部隊であるメガ・ファウナにはそれしか道がなかったという理由もあるのですが。

 しかし物語の牽引役に、ここで疑問を投げかける。

 あなたの考えは、あなた自身が考え導き出したのではなく、周りの大人、養父スルガン長官や心酔していたカーヒル大尉の言葉の受け売りではないですか?と。

 かなりインパクトのある発言でした。

 ただ、監督は受け売りだったアイーダを否定してはいない。すぐにアイーダは宇宙空間で巨大なクレッセント・シップを見ながら、自分自身を問い直すことに気づいているのだから。

 監督はよく、講演の掴みで「知らないならネットで調べてね」と言って笑いを誘う。

 穿ちすぎかもしれないが、今思うと、それはネットだけで知った気になってるんじゃねえよ、という意味の裏返しかも知れない(第一、監督は「話す言葉は三日くらい前からずっと考えているんだよ」と仰っていた。僕と二人きりでお話した時にだよ。ふふふ)

 『重戦機エルガイム』のクライマックス、宇宙を支配するポセイダルの正体、アマンダラ・カマンダラが言う。

「世界は少年(主人公、ダバ・マイロードのこと)が言うほど複雑ではなく、少女(ヒロイン、ファンネリア・アム)が思うほど単純ではない!」

 『エルガイム』も世界を支配する何者かに、「なんでこんな世界にしたんだ!」と一言モノ申しに行くという点で、Gレコと共通した物語構造になっている。

 少年やら少女やらを比定するのは別として、ポイントは「世の中を分かんないもんなんだって興味持たないのもダメ、でもだからといって知った気になっているのはもっとダメ」というところ。

 「マスゴミはああ言っているけど、実際のところは○○だぜ、ネットじゃ常識だよ」という論はバカすぎて論外としても、受け売りを受け売りと気づかないことの危険性を監督は昔から示されてる。考えることを人に任せっきりでいると、いつの間にか戻れない所に来ているよ、と。

 じゃあ、ただ考えればいいのか、何を考えればいいのかといえば、実は監督はそれに対してもヒントを与えてくれている。

 ベルリやノレドは考えて行動しているかといえば、そうでもない。例えば18話でクレッセント・シップを見て「大きいねぇ~」というノレドとカシーバ・ミコシを見て「バカにしてる」「尊敬しろって強制している」というアイーダは好対照だ。

 そんなあっけらかんとしているノレドが次の話ではアイーダに「自分で感じたことではない」と突っ込んでいる。

 大事なのは感情で判断すること。そしてその理由を自分の中で考え分析すること。「頭で考え、心で判断しろ」(オオタコーチ、『トップをねらえ!』より。庵野じゃん)。

 ということになる。ブルース・リーみたいな結論(笑)。

 ただ、己の感じ方を肯定し、それを内省的に問いかけることこそ、物事の善悪を判断する唯一の手段になる。と言葉にしたら意外に月並み(笑)ながら、とても重要なことを、真面目にアピールしている(特に「お子達」に対して)のが、この19話だったと思う。

 まさに「自分の眼で確かめろ!」。

 関東大震災時の朝鮮人虐殺はデッチ上げとか、○○新聞は反日とか、○○党は日本を滅ぼそうとしているとか、誰かが書いた戯言を鵜呑みにしてると、いつの間にか考えることすら奪われてしまうよ、と。

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