戦争知らない大人たち

 さて、もう自分が書きたくてしょうがないから書いているGレコ雑感ですよ。今回もネタバレ含みますので、読みたい人だけ読んでください。ただ、今回はちょっと薄め。

 25話、ラス前まで進みましたGレコ。改めて富野監督のクライマックスへと向けてドラマを動かす演出に舌を巻いています。徐々に物語が収束し、人員の整理がされ(笑)、これで勝敗が決まる!どう転んでも落着する!という雰囲気作りは流石です。

 ですが、今回は監督の演出法などには触れません。

 今回も戦争はいつの間にか始まり、いつの間にかクライマックスに進んでいます。

 今回も、としたのはターンAもそうだったからです。

 この両者の共通点は「戦争を忘れた時代の戦争」、と自分は思っています。両者とも戦争は遥か昔の遺物であり、人の記憶にはなく、記録の上の存在になっている。おそらく、両者とも数百年単位で戦争をしていない。

 以前、自分はトワサンガ軍とジット団の戦闘中の様相から、人殺しに慣れていない→戦争をしたことがない、訓練だけをやり続けてきたのでは、と推測しました。そしてそれをターンAのギンガナム軍と比較しました。

 唯一クリムは劇中でゴンドワンと戦っていた、と言ってるんですよね。だから人殺しに慣れているのかな……。すっかり忘れられていますがゴンドワン(ヨーロッパ)とアメリアは交戦状態にありますから。

 ただゴンドワンとアメリアの間には大西洋があり、両者とも艦艇を作る能力は低そう(アメリアに宇宙艦隊ができたのが最近というくらい)なので、クリムの戦ってきたのも散発的な局地戦に過ぎないのかな、と思います。大々的な戦争ではない。

 富野監督はいつも、戦争を描き続けてきました。ただ、ガンダムでいえば、一年戦争から逆シャアまでは、ほぼ一連の戦争の中にあります。つまり、登場人物はその前の戦争を覚えている。というか参加している。

 この連続する戦争に対して、少し違うのがVガンダムかなと思います。

 Vガンダムの時代は逆シャアから60年を経ている。仮にF91からと考えても、30年、大規模な戦争から離れている。

 Vガンダムの時代、戦争を知っているのはみな老人です。つまり、そういう年頃の人しか戦火を知らなくなっている。

 Vガンダムでは戦争を知っている大人たちがその悲惨さを胸に秘めながら戦う。

 だから抑制が効いている。戦場で大人たちは、淡々と、やるべきことを遂行していく。

 それに対して、Gレコの戦場は「浮かれて」いるように感じる。

 25話でのジュガン司令の宇宙酔いや、キア・ムベッキの「戦場が文化を育てる」(シロッコ的な発言だなあ)などは、戦争の実情を知らないのに、「知識」だけで戦争をしようとしている人であると、示しているように思えます。

 また、戦場では次々に人は死ぬはずなのに、それを(好きだったロックパイが死んだからこそ)リセットできないで後を追うマッシュナー。

 大気圏への突入をできなかったサラマンドラ。船の形状とか、傷がついているという、そういうことがあるという危機意識を持てなかった。これも、リアルな体感としての戦争を持てなかったということなのかなと思います。

 アイーダは泣きながら、なんとかリセットしてましたね。義父の死を。これは彼女が金星に行って成長した証拠なのでしょうか。

 クンパ大佐といえ、体感として戦争を知らないというのは同じことなのではないでしょうか。地球人を戦わせて、人類をムタチオンから解き放とうとしている。戦争によって新しいものを生み出そうとしている(Gレコ用語なら「イノベーション」でしょうか)。

……歴史小説の大家吉村昭さんは、幾つか太平洋戦争を題材とした記録文学を残しています。『戦艦武蔵』から『深海の使者』まで。年でいうと1965年から1973年まで書かれています。彼の文章は、実際にその場に行き、そしてその場に立ち会った人にインタビューして生み出されます。故に、戦史小説を断筆した理由は、戦争を経験した人々が世を去っていき、聞き取りができなくなったから、だと。

 殺し合いを経験した大人たちが消えていく。だから本当の戦争を書けなくなった。

 その境は、吉村にとっては70年代であり、そして日本の社会としては戦後五十年を経た90年代の半ばなのだろうか、と思うのです(Vガンダムの放送は93年)。

 

 以前、私は日本含め東アジア各国が建設的な話ができるのは、戦争を経験したものが全て世を去った後だと思っていました。

 しかし今は、はっきりとそれは間違いだった、と考えています。

 過去の記憶は拡大再生産され、戦争を体験していないはずの人すらも、戦争を知っているかのような発言をする。戦後に生まれたはずなのに、戦時下の辛さや旧日本軍の行動について語ったりする。これは各国でも同じみたいですけどね。

 そうして、さも戦争を知っていると思い込んでいる人々が、実際の戦場では浮かれ立ってしまい、経験不足を露呈して散っていく。

 しかし、彼らが戦場に立つならまだしも、彼らが上にいれば戦場に押し出されるのは若者ですからね。

 戦争を知らない大人たちの暴走、監督はそれこそが悲劇を引き起こすと思っているのではないでしょうか。だから、それを未来を担う子供達に伝えようとしている。

 最終回、大人たちによってカタストロフが起こるのか、少年たちの純真な愛によってそれは救われるのか。

 その答えを来週、監督と見てきます(笑)。

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