幽霊や死後の世界なんて存在しません。でも「墓参り」は行こうぜ、って話。
さて、今回のテーマは幽霊の存在と死後の世界について。
ぼくのお友達の中には、その存在を信じている人もいるし、「実際に見たことある」という人も少なからずいる。
しかし、このフィールド(記事)は、ぼくのもの。
なので、あくまで個人的見解として「幽霊は存在しません」という考えにのっとり話を進めたいと思う。
そしてなぜ、これほどまでにスピリチュアルを忌み嫌うのか。
その理由についても軽く触れるので、ぜひ最後まで読んでいただきたい。
※自分はリアリストなクセして、ロマンチストであるという究極にめんどくさい矛盾を抱えた人物であることは間違いない。
幽霊など存在しない
根拠?
自分が30年間、その姿を確認していないということにつきる。
サイエンス的に考えても、到底あり得ない話だから。
とはいえ、ここでそれをどれだけ論じたところで、何も生み出さないだろう。
最近ニュースで知ったけど、世の中には「地球が球体ではなく平面」という主義に、本気で賛同している人もいるらしい。
夢を持って生きていくのは一向に構わないと思う。
それはもう個人の自由だしね。
子供のときの、いやーな記憶
自分がそれこそ小学生くらいのときって、心霊番組とかオカルトコンテンツが全盛期だったと記憶している。
UMAとか、未確認飛行物体とか……それはそれで好きだったんだけど(笑)
その中でも、やっぱり心霊ネタって記憶に強く残るんだよね。
当時、小学校に心霊写真集を持ってきていたクラスメイトがいて、怖がりなクセに好奇心旺盛だった自分は、それを見てしまったばかりに夜眠れないという日々を過ごしていた(自業自得)
なんならこの歳になっても、たまーに思い出すくらい脳裏に染みついているのだから、当時はトラウマだったよね。
ピュアだから仕方ない。
そんな風に、大人たちが面白おかしく作り出した「幽霊」というエンタメに、苦しめられた幼少時代があった。
その反動で、自分は強烈なアンチスピリチュアル論者になってしまったのだろうか。
いい大人になっても幽霊の存在を信じている人たちは、とてもピュアな性格で豊かな感受性の持ち主だなぁ、と思う。
それがその人の仕事にとって、プラスに働いているなぁ〜と思う人と出会ったことも実際にある。
だから決して、その感性は無駄じゃないとおもう。
(幽霊の存在有無じゃなく、想像力の話ね)
埼玉最恐の心霊スポットでも、やっぱり留守だった
もう、4、5年も前の話なんだけど。
地元の友達と、心霊スポットを巡ることにハマっていた時期があった。
とある日。「埼玉最恐」として知られる、どこぞのトンネルに行くことになったんだよね。
時刻は深夜2時。幽霊様には登場していただくのに、絶好のタイミングだっただろう。
しかし、奥に進めど進めど、一向に姿を現さない。
ま、わかってはいたけど。結局、収穫なしで帰宅した。
もちろん、塩などふらない。
でも、それからだいぶ経つけど、ふつーに元気だよ。
上も下も。
東京なんて幽霊だらけのはずじゃね?
東京大空襲で未曾有の被害を被った都心ですら、当時の格好をした死者とおぼしきし人と出会ったことはない。
どうやら幽霊って、この世に未練があって成仏できない人なんだよね?
理不尽な戦争に巻き込まれて、みんな成仏なんてできるのだろうか。
こういうことを言うと、「幽霊は一般人と同じ姿をしているから、見分けがつかない」とか、わけわからん理屈を述べる人がいるんだけど(笑)
もうそういうのいいから、ほんとに見えるなら連れてきてほしい。
望むのはそれだけ。
その人が幽霊って証明できた暁には、喜んで土下座もしますって話です。
時代とともに変わる、幽霊のライフスタイル
その昔。
幽霊は、柳の木の下に陣取り、三角の布を頭に巻き、おまけに「足がない」というスタイルが定番だったらしい。
いわば歌舞伎町に蔓延る、「地雷系量産型女子」よろしく、昔はこのスタイルがトレンドだったのかもしれないね。
現代においては、幽霊も多様化したのだろうか。
このスタイルの幽霊を見たという人は皆無だし、現代のホラー映画においても、その姿をみることは少ない。
つまりなにが言いたいかって言うと、「成仏できない人」が幽霊になるのに、「勝手にいつのまにか消えていった幽霊」もいるということである。
ご都合主義にもほどがあるよね。やれやれ。
でもな、仏壇には手を合わせろ。そして、墓参りにはできるだけ行け。
ここまでダラダラ書いておいて申し訳ないが、前半のくだらない話はだたのイントロにすぎず、ほんとうに言いたかったことをこれから書き記したい。
幽霊や死後の世界は信じないクセして、なぜ墓参りをすることを推奨するのか?
答えは簡単。
それすら意味なく感じてしまっては、自分の心の豊かさを失うことにつながるからだ。
胸に深く刺さった、とある学者の言葉
ちょっと前。テレビで「学者 VS 霊媒師」みたいな企画を放送していた。
その中で、とある学者が放った一言が、非常に芯を食っていて、今でも強烈に覚えている。
この言葉を聞いて、妙に腑に落ちてしまった。
一気にモヤリが取れたというか、「そうそう、そうだよね!」って感じ。
幽霊という存在は、いわば人の脳みそが作り上げた想像上のモノだ。
だからこそ、心の中にのみ存在する。
心の中に存在するからこそ、死者に思いを馳せたりもできる。
今は亡き人の存在が心の中にいてくれるからこそ、自分自身が頑張れたり、励みになったりする瞬間だってあるだろう。
だから、人は墓参りをするべきだし、仏壇の前で手を合わせ、その一瞬に亡き人への思いや記憶を巡らせたりできるわけだ。
「あぁ、じいさんがいなかったら、今の俺はいなかったな」
とかね。
死後の世界(幽霊の存在)は、現実には存在しない。
しかし、あなたの心の中で、亡き人はいつもあなたを見守っているだろう。
そういう風に考えることで、
「何に感謝しながら生きるべきか?」
「ほんとうに信じるべきものは何か?」
その答えが見えてくるような気がする。
そして今、
「あれ、この人(俺)もちょっとスピリチュアル入ってね?www」
と思ったあなた。
断っておくが、スピリチュアルと哲学は常に紙一重というのが自論だ。
偉そうに言ってますが、これは親父から教えてもらった言葉(笑)
そういう親父がいるからこそ、いい見本であり続けているからこそ、最後は“自分を信じること”が大事なのだと、常々思っているのである。
まとめ
超脱線しましたが、僕が30年生きてきた結論はこちら。
「幽霊は現実世界には存在しない。でも、心の中には存在する」
これを哲学として大事にしながら、これからも上手にスピリチュアルという名の“インチキ”と対峙していこうと思う。
まーしー
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