見出し画像

ヒューマンバグ大学 キャパ激狭専攻 豆腐メンタル学科卒業

好きなものや自分の癖を可視化することで、いざ俺がピンチに陥った時に自己解決できるのではないかという至り。今分かっている限りのことをメモしておこう。

自分の「チョロい部分」を分かっておく

俺の「チョロい部分」を分かっておくというのは、つまり「自分の機嫌をどうとるか」であります。あの赤ちゃんにはこのおもちゃ与えたら泣き止むんだぜ、という見知をもつこと。

俺の場合、ゲラであること、すぐ笑う所がチョロポイント。笑わせておけば機嫌も気分もよくなる。
笑いのセンスが小学生並みで、視覚的な心地よさや面白さですぐ笑う。箸が転がっても面白い年頃を今でも地でいっている。

表題にもある通り俺はキャパ激狭人間であり、すぐ病んでしまう。

そんな時にはお笑いが一番の頓服薬、特効薬であり、副作用もない。

今一番面白いのはランジャタイ。

悩みを分類する

悩みには、今分かっている限りでは
・今解決した方がいいこと
・今じゃなくていいこと

の二つがある。さらに今解決した方がいいことの中には、今この場で解決できることと、今は解決できないことがある。今解決できることは、何時にやればいいか決めれば落ち着いてくる。今できないことは、今はどうせできないけど死なないからおkということにしていくのだあ。

「死なないからおk。」

これはなかなかいい言葉であり、いつも気に留めておきたい。東大に入れなくたって、医者になれなくたって、死にはしないんだよ……死ぬと思わせた周りも悪いと思いますハイ。

人に責任を分散させる

近代社会において責任というのは人間にとってかなりの重圧であり、責任に殺された人が今なお後を立たない。一人で責任をもつのが、あまり良くないんだと思う。自分がやらなきゃ判断しなきゃ考えなきゃと「思い込んで」いると、俺の経験上どこかのタイミングで絶対絶対病む。

重要かつ自分の心の不安を掻き立てるような因子がある場合は、判断を他人にも共有してもらう。AはBするべきだと思うんだけど……と他人に話しかけてみる。そうすると、BもいいけどCもいいのでは?とか、BとCの折衷案が出てきたりする。そうすると責任は俺の両手だけでなく意見をくれた人の手にも、多少は、乗っかる。これで少し責任の質が変わってくる。
(なお、上記のように前置き……自分の意見をもっておくことは礼儀でもある。判断を丸投げにするのは人間関係上はリスキーである。)

あったかくしろ

嘘みたいな本当な話。
病んだらとにかくあったまるんだ。風呂でもカイロでもこたつでも布団でもホットミルクでもなんでもいい。冷えは心の病みにもつながるマジで。とにかく身体をあたためるんだ。

蒸気でホッとアイマスクはいいぞ。すぐ寝れる。

人に話す


俺は親に「人に愚痴るな。迷惑になるんだ。」と教えられ、しばらくそれを守ってしまっていた。しかしカウンセリングが精神疾患患者の治療に使われていることから分かるように、人に思いを話すことは、自分が置かれている状況の整理と気持ちの整理を促し、自己を客観視し、冷静になれる。

とりあえず今日の分はここまで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?