人生の転機

こんにちは、俺です。

スキの評価いただきましてありがとうございます。
つたない文章ですが、自分の半生をノンフィクション(昔の事なのでうる覚えのとこは誇張表現あるかもしれません)を綴っていきたいなと思います。
今後とも宜しくお願いします。


さて、スナックのチーフも板についてきて順調な日々。ある時ママからこんな提案がありました。

チーフさ、この店買わない??
チーフならできると思うのよね。あたしも疲れてきたから任せられるなら任せたいんだけど、どう?

ちなみにママ、店売るって言ったっていくらなんですかね?俺金持ってないしそれも一括では出せないですよ。

あー売上から返してくれれば良いわよ。値段はそうね~8000万ね。

8000万!!それローン組むにしたって無理ですわ。俺にクラブ潰してピンサロでもやれとでも言うんですか?

あーそう。高いかな~。そのくらい内装掛かっているのよねー。内装代だけにしてあるんだけどなー。

(ママ、それあの(お客)人にボラれたんですね・・・。この店の坪数で8000万なんて掛かり過ぎでしょ・・・)


ということで水商売独立の夢は潰えましたw
近所の行きつけのスナックで飲んでいた時、横のお父さん(当時40後半くらいかな~)が、喋りかけてきました。

俺くんさ、コンピューターやってたでしょ?今困ってるんだよね。聞いてくれる??

いいですよ。今はチーフなのでお手伝いはできないかもしれませんが。

〇〇っていうツールがあってさ、それでソフト作らなくちゃならないんだけどそれやったことあるエンジニアが日本に10名くらいしか居ないらしいのよ。そんな人知らないかな~

・・・・

〇〇なんか知らないよね?△△って会社がアメリカから持ってきたみたいなんだけど、これを使って(大手建設会社)が営業ツール作るって仕事なんだよねー。

あぁ~、その日本に10人のうちの1人が目の前に居るんですけど・・・w


えっ!?俺くん知っているの??本当に??

ええ、そのツールがアメリカから入ってきた時に製品評価していたのが俺なんですよ・・・w 当時Macromedia社Directorしか無かったなかで機能アイコンをつなげるだけでプログラムが組めるオーサリングツールってのがいくつかあった中の一つですね。
当時はVer.1.0だったので使えねぇっていう話でレビューだけ終わったんですけどねww

え、え、ちょっとさ、だったらこの仕事やってよ。お金ならちゃんと出すからさー。

そうですねー。じゃぁ人月120万なら受けますよw

120万ね。オッケー明日とりあえず事務所来て。契約するからさ。いやぁ~よかった~こんなところに居たとはねー。聞いてみるもんだねー。

ですねw


ということで水商売をしながら、昼間プログラムを組むというダブルワークになってしまいました。それも人月120万。お金が欲しかったので止める理由がありません。

で次の日、そのお父さんの会社行ってみたら、営業部長さんでした。

で、応接通されまして、仕事はうちの外注として動いて欲しいって旨と支払い条件の件、あと必要なものはないか?っていうのを聞かれました。

なので、自宅でやるのでPC一式送って欲しいってお願いしました(当時はPCもまだまだ高かったんですよね)。

4日後にはマシンが自宅に届き、Windowsをインストール。そして当該のオーサリングツールを起動してみました。

あー懐かしい~な~w

てか、あんま変わってないなこれ。一抹の不安を感じます。
ツールのバージョンが上がると利便性が向上したりするんですけど、元々言語としての使用実績が少ないため、開発にも力入れられてないんですよね。マニュアルも英語しなないですし・・・。
途中まで作られてたアプリケーションを環境に入れてプログラムを見てみました。

このオーサリングツールの良いところはモジュール毎にフローチャートがそのままオブジェクトとして画面に展開され、オブジェクト同士を接続すると機能するっていう、今や幼児教育の中でもあるフローチャートを作らせるような開発言語なんです。
オブジェクトには入力(キーボード、ファイルインポート、CSV等)、出力(画面、プリンター、TCP等)とか条件文(IF、Switch等)があってそれを組み合わせて、詳細は入力しながらプログラムを作ります。
フローチャートをWysiwygでプログラムになっちゃうってやつなんですよ。

でもこのツール色んな欠点があって、モジュール単位でオブジェクトの数の制限がある、モジュール間での変数のやり取りができない。構造体が使えない等々、無いと不便な点が多々あって当時のオーサリングツールとしては落第点だったわけです。

まぁでも視覚的にプログラムが見えることで習熟期間も短く、簡単なプログラムなら数分で組めるようなツールでした。

で、仕事を始めたんですけど問題が起きました。

寝る時間がないんです。というか、寝る時間とプログラムを組む時間をトレードオフしなくてはならない状況になってしまいました。

水商売は仕入れ→仕込み→掃除→セット→営業→片付けっていう流れでして、仕入れが毎日15時くらいからスタートしてました(繁盛店なら12時前後からスタートですよね)。
それを毎日やってた訳で、店の休みが週1日だったので、寝る時間を数時間に削って毎日数時間プログラム組むって感じになってしまいます。

そんな状態ですから、納期もギリギリか数日遅れることもありまして、クライアントからも何とかしてくれって言われる始末です(間立っている営業会社もプログラム組んでいる奴が水商売のチーフやってますからとは言えないですからねw)。

で、店を何日かお休みもらって納品間に合わせて、何とか乗り切っていたんですが、ある時クライアントから以下のような提案が来ました。

プログラムを組んでいるのは俺くんというのが判明しており、営業会社は何もしていない。なら直接俺くんに発注したいから、契約変えてくれと・・・。
また、俺くんは一人でやっているので何かあった時の対応ができないのだが、会社組織等を用意してもらえないか?と・・・。

うは・・・、無茶言い寄りますわ。

ということで営業会社の営業部長を飲み屋でお話合いです。

で、どうします??って話したんですよね。別に俺はこのまま辞めてもいいんだけど・・・って。

営業部長は、せっかくコンピューターの世界に戻れるんだから戻った方が良いよ。いつまでも水商売やるわけではないし、あの店継ぐ訳でもないでしょ?と。
あと会社の件だが、俺の友人紹介するからそこで会社作っちゃいなよ。最初の金は心配することないからさ。その友人も一度紹介するわ。

ここで、俺は考えた訳です。コンピューターの世界でプログラマーで燻ぶってるのは性に合わなかったのと、もっと自由にやりたかった。で、当時は社長ってのと年収1000万ってのが淡い目標としてもあったんです。
それが今目の前に提示されていて、これを掴まなかったらまだクラブのチーフを安月給で続けなきゃならない。

ほぼ即答でチャンスだと当時思った悪魔の契約書に血判を押してしまいました・・・。

今日から社長になれるって浮かれている俺。クライアントも俺に払うだけで済むので開発費用もかなり抑えられたようです。
(というか、この時幼さ故にまだ危うい会社ってのを理解していなかったんですよね。まさか手形不当たり出している会社だとは思っておりませんでした。)

営業部長から事務所用意できたから秋葉原まで来てって言われて、指定された住所に向かいました。そこは末広町駅から数分の雑居ビルでした。小学生の時分から秋葉原には通っていましたので、ほとんど場所は知ってたんですけどね。当時(今から25年以上前)は、ショップとかも末広町までは伸びてなかったんですよ。ほんとメイドができてTXが入線してからというもの秋葉原もおかしな街になってしまいました・・・。

行くと元気の良い北関東訛りの社長ってのを紹介してくれました。会社は主に半導体の売買、卸と地元に基板工場、あと実家の稼業が和牛畜産農家っていう凄いボンボン臭漂う人でした。

その日に飯に誘われて、その後酒飲みに門前仲町まで拉致られ、帰れなくなったのでその社長宅でみんなで泊まってすき焼き食うっていう濃い1日を送りました。

帰り際、とりあえず資本金は用意したからあと登記の社名考えておいて。あとメンバーも何人か必要だからさ、俺くんの友達とか引き抜いてきなよ。必要な飲み代は経費精算するからさ・・・と。

凄い、凄いよ。社長ってこういう世界なんだと感動しました。

(それから毎日、この社長から連絡あって登記の必要事項を事務所で作る仕事をしました。そして毎日飲みに連れていかれるっていう・・・。)

家に帰ってからは、親にもちゃんと報告しないとって思いまして、夜全員が集まった中で報告しました。

詳細を熱く話すと、開口一番親父が大反対、その会社は大丈夫なのか?と。母親ももっと冷静に考えた方がいいんじゃないか?と。

ただ、給与面とか考えれば(今思えば大した金ではないんですけど、24歳で年収540万って当時はかなり破格だと思っていたんですよね・・・)凄く楽になるし、会社となれば少し仕事も楽になるしと。

両親は俺の意志が曲がらないこともあり、半ば諦めて会社やるなら従業員が犠牲にならないように頑張れって言われて了承してくれました。

それから会社が登記され、名刺が出来上がりました。

登記初期は社長業もやったことないだろうかと、関連会社の営業の方を立て、その人を代表取締役、僕が取締役事業部長という肩書きで会社がスタートしました。


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