GenAIのその先の未来

ChatGPTの台頭のインパクト

みなさんご存知の通り、2022年にChatGPTがインパクトを残して以降、GenerativeAI(以下Gen AI)は私たちの生活に大きな変化をもたらし始めています。
世界中からGen AIの開発に資金とリソースが集められ、GAFAMは大量の推論処理が可能なGPUに投資を加速し、NVIDIAの株価は史上最高値を更新しています。この速度で進化するGen AIの世界では、情報が2週間で古くなることは珍しくなく、これまでの経験とは異なる速さで変化が進んでいます。私は生きてきた中でこんなスピードで変化する状況を経験をしたことはありません。

この先を想像する前に

未来を想像する前に、Gen AIの台頭が私たちの生活や働き方、社会構造にどのような影響を与えるかを考える必要があります。それは人間とは何かという根本的な問いに立ち返ることです。Gen AIによる自動化と生産性向上の一方で、人間特有の価値や役割を再考してみましょう。

人の本質の再定義

Gen AIが担うことができる作業が増えるにつれて、人間の役割はより創造的で、対人関係に重点を置いたものへとシフトしていく可能性があります。AIにはできない、感情を理解し共感する能力や、複雑な社会的相互作用を通じた問題解決などが、新たな価値として認識されるでしょう。

いえ、正確にはずっと昔から持っていたはずなのに、現代社会において軽視されている価値、というのが正しい表現かもしれません。
もちろん完全に失われているものではありません。文化や思想を形成する上では強力な説得力を持っています。ですが、資本主義の構造下においては軽視されているのが現実かと思います。

私たちの意思決定の根底にあるもの

私たちは、社会的、組織的、あるいは自然界の中で、一定のルールや原則に従って要素や個体が整理・配置される、秩序ある世界で生活しています。この秩序は、法律、規則、慣習、または自然法則などの体系的な構造に基づいて形成されます。秩序の概念は、安定性や予測可能性、生活の調和をもたらしますが、同時に創造性や変化への制約としても機能します。

例えば、数学や物理法則は再現性が高く、誰が計算しても結果は同じであるため、強力な秩序の構成要素となります。しかし、再現性が低い、あるいはマイノリティに属する要素、それこそ一般的とは言えない個人の意見などは、大衆から容易に否定されがちです。

私たちは想像以上に感情的でナラティブな生き物です。論理的であると自認する人でさえ、実は深く感情的な意思決定を行っています。

誰かに承認されることで自分の価値を認められ、それが私たちの生きる活力となることがあります。秩序の範囲内に自らのアイデンティティが調和していれば問題が顕在化することはないかもしれませんが、それにアジャスト出来ない場合は辛い思いをすることが多いでしょう。

私たちがそれに気づいたとき、いや本当は皆気づいていたとしても…、それを社会に訴えなければならないほどには社会のバランスが崩壊していません。多かれ少なかれ不満を抱いていたとしても、今の生活を否定するほどの不満ではなかったりもします。しかし、今後Gen AIによって社会構造が大きく変化したときには、果たしてそのバランスはどうなるでしょうか。

社会経済的格差の問題

Gen AIの技術を支配する一握りの組織あるいは人間が、経済的・社会的権力を一層強化する可能性は、深刻な懸念材料です。資本主義の枠組み内で、技術革新が富の集中を促進する傾向があるため、Gen AIの普及が既存の社会経済的格差をさらに拡大させることも考えられます。

これに対処するためには、技術の民主化、公平な収益の分配、教育と再教育の機会の拡大など、政策による介入が必要になるでしょう。中国のように外資を締め出すことは国策として間違っているとは言えないかもしれません。

この先の未来への備え

この流れを止めることは誰にもできませんし、もしかすると止める必要もないのかもしれません。多くの人が指摘するように、ポジティブな側面も確かに多く存在します。

私たち個人にできることは、この流れに対して備えることですが、それと同時に人間とは何かを訪れる未来に向けて再考し続けることかもしれません。哲学に終わりはありませんが、これからの時代を生き抜く私たちにとって極めて重要な問題提起です。

個々の声が集まることで、生産性や効率化といった数値化しやすい指標では決して計れない価値を重んじる社会を生み出すかもしれません。

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