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仏教に学ぶ生き方、考え方「隠れてすること」

 先日、焼肉を食べに行きました。

 でもお坊さんが焼肉を食べに行くという行為を「嫌がる」方もお見えになるので、御同行様には何も知らせずに「隠れて」行きました。

 ところが次の日にどこからともなく「焼肉のタレ」や「ニンニク」の薫りが漂ってきます。

 口からなのか、身体からなのか、服からなのかはわかりませんが、たぶん薫りに敏感な人には気づかれたのではないかと。

 本人はわからないように「隠れて」していることでも、周りから見れば、「なんとなくわかってしまうときがある」のですよね。

 これを「薫習」(くんじゅう)と言って、「薫りが漂う」ように、「思っていること」、「考えていること」、「していること」がにじみ出てくるのです。

 薫習を防ぐには「隠れてするようなことをしない」か「隠れてしない」か、どちらかですよね?

 先ほどの例でいうと、「焼肉を食べない」か「焼肉を隠れずに堂々と食べる」かどちらかをすればいいわけです。
 
 親鸞聖人が「肉食妻帯」(にくじきさいたい)を堂々と公言してされたのも、きっと「隠れてすること」が「自分の信心を曲げてしまうことになる」と思われたからではないでしょうか?

 さて皆さんは、どんな薫りを漂わせているのでしょうか?

☆今日の一句☆

 なんとなく
    わかるよ隠れて
          していても

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