ほとけさまのおしえ「信じる心」
テレビをつけると様々な「スキャンダル」が報道されております。
個々の出来事についてのコメントは差し控えさせていただきますが、それらを通して言えることは、信じることには「裏切りや欺瞞といったもの」が常について回っているということです。
そして信じる気持ちが長く深いほど、その時の心の傷は「深く重く」なるでしょう。
そして心が小さい割に妙に執念深い私は、ちょっとしたことでも「いつまでも」覚えているものです。
それが証拠に、学生時代に自販機でお金を入れたのにジュースが出てこなかったことを、今でもありありと思い起こすことができます。
たとえ小さなことであっても「裏切られること」は人間には辛く悲しいことなのです。
でも同時に誰かに信じてもらえると大きな幸せも感じます。
もう何も信じないと思っていたとしても、信じてもらえたらこれに応えようと頑張ったりします。
そして実は阿弥陀如来様は「必ず救う」と私たちを願い信じてくださっているのです。
それは私が信じようが信じまいが関係なく、また存在を忘れていても「お構いなし」で信じてくださっているとも言えるでしょう。
つまり「裏切られた」という思いも包み込むような「慈悲の心持ち」が仏教には存在するのかなと感じております。
☆今日の一句☆
裏切りも
包み込みゆく
慈悲ごころ
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