豊かって飽きないこと

豊かさ、暮らしとはなんぞやと友人が悶々と考えている。それについて考えてみた。

郊外で暮らして、テレワークで、緑に囲まれた土地で朝ごはんにパパッと三菜一汁作って、ヨガして仕事して、夕方にランニングしたり近所の川を散歩したり、お気に入りのベーグル屋さんでコーヒー飲んだり。

みたいな印象を雑誌で作り上げたりしているけど、実はそんな事ではない。

豊かって言うのはゆとりのある事で、無理がない状態。誰か有名な人は恐れない状態のことって言ってたかな?

上の描写は確かにゆとりがある様に見えるし憧れるけど、実際はゆとりがあるのかわからない。ものすごい何かに追われている状態でああゆう生活をしているのかもしれない。

で、ゆとりのある状態は、自分がどれくらいで満足できるか知っていて、それをどれくらいのレベルで達成できているかで決まるんじゃなかろうか。

いくらいい生活をしても、もっと上の生活を望んでたら全然満足しないし、すごく質素な生活でも、職場で楽しく働けて帰ったら大好きなテレビを見て夜更かししたりが幸せな人は、それは十分豊かであると思う。

こんな事が豊かであるとか、いい暮らしであるとか、そんなものは人によって定義のしようがないので結局自分が何を幸せと思うかと言うシンプルな話。

そんな中、幸せの基準を下げるのは非常に有効で合理的な手段だ。幸せは自分で決められる。足るを知るってそういう事。ミニマル思考は幸せの基準をぐっと下げる作業かもしれない。

で、それを継続させるためには飽きない事と言うのがとても重要に感じる。これが幸せだ!って決めてもその状態に飽きてしまうと幸せでなくなってしまう。

よくよく考えてみると飽きない為に行動してるんじゃないだろうかとさえ思う。飽きない為に友達を沢山作る、その為に人に気に入られようとする。飽きない為に自分を変える。飽きないから何もしないなんて事も成り立つ。

そう言えば、自分がものを買ったりする時には「長く使うことをイメージして飽きない物」であるかを意識している気がする。それがすなわち気に入っているもの。自分が何に対して飽きるか、退屈と思うかはよく知っておいたほうがいい。

すごく欲しい!と思って買っても、いっときの欲望で割とすぐ飽きてしまうもの。だから服や家具を買い換えたりしてしまう。「長く使える」というのは、耐久性のことではなくて飽きないかどうかだったりする。

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