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春色の汽車に乗って

春は出会いと別れの季節。

そんなことは、手垢がつきすぎて消防士用耐火グローブの厚さになるくらい、もしくは「国民の疑念を招くような会食に応じたことはない」という言葉くらい、聞き飽きた文言です。

ただ、本当に、春は出会いと別れの季節です。

2013年10月、僕がラジオのお仕事をさせてもらうようになった時からずっとお世話になっていたプロデューサーさんがこの春で番組を変わることになりました。

このnoteのタイトルを「全てはラジオのために」としていることが示してもいるように、そして、そんなことをイチイチ説明するまでもないくらい、僕はラジオが好きです。

お仕事ではありますが、ラジオでおしゃべりすることを心底楽しいと思っています。

そして、お仕事だから、当然、一生懸命に取り組んでもいます。

なぜ楽しくて、なぜ一生懸命になるのか。

中西正男という人間の特性、プロというものへのこだわり、逆に役割を果たせていない者への厳しさと冷たさを放出するからこその責任感など、そこにはいろいろな要素があるとは思います。

ただ、僕が感じている、ラジオに力を入れる原動力。

それは、極めてシンプルに綴ると「そこに好きな人がいるから」だと思っています。

文字化すると変質してしまうくらい、デリケートな風合いを含んだ感覚ですが、僕の中ではこの要素が非常に大きい。

ラジオは距離の近いメディアだと言われます。リスナーさんを身近に感じる。そして、リスナーさんもこちらを身近に感じてくださる。その距離感がたまらないし、その距離感だからこそ、気取った話やうまくまとめるような話は無用であり不要。

文字通り、正味の話しか要らない。そのストレートさも、僕にとっては性に合うのだと思いますが、その空気感の中で築かれる人間関係。

これもまた近接したものであり、そして、ここは幸運としか言いようがないのでしょうが、ラジオで、僕はとことん人に恵まれてきました。

今回、番組を離れるプロデューサーさんとも、幾度となく飲みに行き、あらゆるお仕事を共にし、ありとあらゆる話をしてきました。

楽しいことを共有する友人的繋がり。仕事という責任を伴う空間で緊張感を共有する繋がり。その両方が絡まり合い、気づけば堅固な鎖が形成されていました。

形の上では、この春で毎週会うことはなくなりますが、僕はここからが繋がりの第二章であり、むしろ、ここからが本番だと思っています。

互いが互いに、そして、それが世間にとっても「あったら助かる」パーツになるよう、さらに強く、そして、正しく育つ。そして、次のステージで、またさらに大きなものを動かすことを目指す。

観念的な言葉が続きますが、そうなることを願い、そうなることを信じ、一つの“前祝い”として酒を渡しました。僕が知る中で一番めでたくて、一番面白くて、一番勢いのある酒を。

全体が金色のラベルで覆われたマグナムボトルのスパークリングワイン。

この上なく前向きで、この上なくアホみたいで、ちょうどいいことこの上なし。

春は出会いと別れの季節。

この言葉に自分なりのフレーバーをかけて、自分なりの色をつけてみました。

このあたりに、26歳でもない、36歳でもない、46歳を感じる46歳。

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