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腕相撲

僕はいわゆる真面目な学生だったので、中学生の時なども自発的にゲームセンターに行くということはほぼありませんでした。

友だちに誘われて行かないこともないけれども、全く気乗りしない。なんとなく、やりすごすように時間が経つのを待っていた感じでした。

そんな中でも、わざわざ、その筐体を探してまでやるようになったゲームが一つだけありました。ゲームメーカー・ジャレコの腕相撲のゲームです。

10人ほどのキャラクターの中から対戦相手を選び、実際に機械相手に腕相撲をするゲーム機でしたが、これがとにかく好きでした。

先述したように、ゲームセンターに入るのも躊躇するくらい、いわゆる不良の逆のベクトルの学生でしたが、もともと異常なまでに成長が早かったせいか、中学から始めたラグビーのおかげか、腕力は非常に強かった。

枚方市立楠葉中学の時にラグビー大阪府下選抜に選ばれ、他校から選ばれた選手と選抜チームとして練習や試合をする中で、運動系のあるある話というか「腕相撲で誰が一番強いかを決めよう」という流れになりました。

大阪の強い中学校から集まった猛者が集っています。もう30年以上も前の話ですし、当時のラグビーという競技の特性もあったのか、その学校でいわゆる番長と呼ばれているような選手もいます。

ある程度、自信はあったものの、精鋭揃いの中で自分がどれくらい強いのか。それは全くの未知数でしたが、ウソみたいに、誰とやっても勝ち続けました。

最後に残ったのが、その後、早稲田大学ラグビー部に進んで活躍したムキムキのとある選手と僕。

最後、この二人で対戦して、僕は負けたような印象があるのですが、周りは僕が勝ったと言います。

一つ言えるのは、最後の結末をよく覚えていないほど、その時の僕はドーパミンのプールをバタフライで泳ぐような快感を覚えていたということです。

ラグビーをやって、しかも、大阪府下選抜に選ばれるくらいですから、みんな一生懸命トレーニングに励んでいる子たちばかりでしたし、番長と呼ばれている子も、非常に心根の優しい子で、ストイックで、ナイスガイばかりのチームでした。

ただ、今、ラジオの各番組で発揮しているような、心のねじ曲がりは当時からありました。

鬼に金棒。

ガッツにドラゴン殺し。

サイコパスに成功体験。

危ない食べ合わせです。

そういったタネは多分にあった僕なので、腕っぷし一つで猛者たちをねじ伏せる快感がより一層、心に沁みたのだと思います。

単なる腕相撲を超えて、一味も、二味も、乗っかったんですわなぁ…。

「味の招待席」の桂米朝さんフレーバーを用いないと下品になってしまうくらい、腕相撲にどす黒い炎を燃やす中学生が爆誕して以来、ゲームセンターで腕相撲ゲームを探す日々が始まりました。

ゲームセンターによって、多少、強さは変わっていたようですが、10人くらいの対戦相手からどのキャラクターを選ぼうが、全部ボロ勝ちです。

一番弱いキャラクターを選んで手玉にとるもよし、一番強いロボットのキャラクターを瞬殺するもよし、楽しみ方は自由自在。それこそが100円を払った者が得られるプチ無法地帯。

ケージに守られたサファリカーに乗って野生動物の世界を疑似体験できるサファリパークのように、100円払えば、力こそが正義の「北斗の拳」の世界にショートトリップできる。この感覚は、当時の僕にとって衝撃でした。

“触るものみな傷つけた”「ギザギザハートの子守唄」。

“選んだキャラみな蹂躙する”「ザワザワハートの狂想曲」。

ゲームセンターでの脳内ヘビーローテーションは後者でした。

圧倒的な解放感から、ついついやり過ぎて、肘の皮をずる剥けになるか、手首を傷めるか。どちかの結末を見るまでゲームをやめられない日々も重ねました。

そんな学生時代から30年。

小学3年の長女が目を輝かせてこちらに質問をしてきます。

手には分厚い本を持っています。

「10才までに学びたい マンガ×くり返しでスイスイ覚えられる 1200の言葉」。

インターネットでこの本について調べてみると

「雨降って地固まる」「目に余る」「温故知新」「心外」…などのことわざ、慣用句、四字熟語、難しい言葉など、小学生の成績アップにつながる言葉を1200語集めました。

という説明文が書かれていました。

次々と「〇〇はどういう意味?」と娘がクイズ形式で出題してきます。

書くことでご飯を食べて22年。

1200語、ウソみたいに全部意味が分かるのは当然のこと、子供向けのその本になら、こういう感じで説明されているであろうという言葉まで予想して答えていきます。

娘の顔が、今まで見たことのない尊敬の色に染まっていきます。

ゲームセンター以外で初めて、彼の曲が流れました。

しかし、頃合いで「もう、そろそろやめとこか」と適度に止めて、値打ちをこいて、翌日以降に余韻をたなびかせました。

二の轍は踏まない46歳。

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