見出し画像

北の国から

同じような話ばかり綴るのは好きではないのですが、今晩は田中邦衛さんの追悼として、フジテレビで「北の国から」が放送されてました。

同作の放送が始まったのが1981年。その時の主人公・黒板五郎の年齢が46歳。今の僕と全く同い年です。

僕がリアルタイムでうっすら見ていたのが、小学生になるかならないかの頃。そこからあらゆるシリーズが放送され、その度に、うっすら見ていました。

思春期のセンシティブな感覚をえぐりこむセリフ。残酷なまでに心を突き刺すリアルな展開。

うっすらのはずの記憶が思い起こされ、なんとも言えぬ感覚になりました。

そして、テレビを見ていた自分の部屋を飛び出し、リビングにいる2人の娘に対し、棚橋弘至のハイフライフローばりに覆いかぶさりました。

思春期の心では受け止めがたい生々しい感覚。

でも、今、自分は結婚し、大阪の中心街にあるマンションに住み、家庭を持って暮らしている。

なんというか、それが分厚いクッションになり、この作品の、ある意味の残虐性をしっかりと受け止めることができている。

娘二人の小さな体のみならず、その充足感を抱きしめ、なんとも言えぬ感覚になっていました。

重ねて、断じて申しますが、僕は決して「北の国」からフリークではありませんし、むしろ、同年代の中では見ていなかった方の人間だと思います。

それでも、あらすじは頭に入っているし、作品としての妙味はなんとなく、頭に入ってはいます。

ドラクエに全く興味なかった人でも、ホイミと言われたら体力が回復するくらいのイメージくらいはある。

吉本新喜劇に興味がなかった人でも、山田スミ子さんが怒鳴ったら大人たちが平泳ぎするくらいのイメージはある。

プロレスに全く興味がなかった人でも、タイガーマスクと言われたら、その後の合宿で道場生を竹刀でタコ殴りにするくらいのイメージくらいはある。

プロレスに全く興味がなかった人でも、バズ・ソイヤーと言われたら、通りすがりの人をパワースラムで迎撃くらいはする。

そういうものだと思います。

ただ、今見たら、劇中では当時自分と同い年だった黒板五郎のムーブ。そして、その周りの子どもや親族、友人たちのムーブ。いろいろと味わい深く感じます。

今週木曜のABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」。

今から思えば、パーソナリティーの浦川泰幸アナウンサーの超人的な勘があったのか、田中邦衛さんの話になっていました。

浦川さんのモノマネから入り、番組のあるパートは「北の国から」オマージュみたいな内容になっていました。

先述したように、僕は同作に決して思い入れがあったわけではありません。それでも、瞬時に言葉を紡ぎました。

「今日もね、塩田えみさんは泥のついた歌詞カードを持って来てますものね」。

すぐさま浦川さんが「黒板五郎さんの一万円に泥はついてましたけど、塩田さんの歌詞カードに泥はついてないです」。

さらに私が「それなら読みやすいはずですが、その割に伝わりませんね」。

知らん割には、よく言ったと自分で自分を誉めてやりたいです。

小学校の頃の自分にとっては、何の感情で迎え撃てばよいのか分からなかった作品が、そこから30年以上経って、ポップな飯のタネになっている。

こんな展開、子どもの頃の自分には想像すらできるわけがありませんが、生きていると、積み重ねが生む味もあるものだなと思います。

今「北の国」からを見ても子供のころのようなヒリヒリ感はないが、あまり知らないお寿司屋さんで不用意に鰻の白焼きを頼んでしまったら、勘定を見るまでしっかり「ドキドキしていた」にはなる46歳。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?