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戸田恵梨香さん、水川あさみさん

昨日はね、木曜やったんでね、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」の出る日だったんです。

僕がやってる芸能コーナーではね、女優のなんやったかな、戸田恵梨香さんやね、それと水川あさみさんが週刊誌について、芸能報道について、一石を投じた件で話をさせてもらいました。

要はね、もともと仲の良かった二人が不仲になって、それが戸田さんの体調不良の一因にもなっているという記事が数日前に女性誌の記事として出たと。

それに対し、それは事実無根である。そんなことを堂々と書く週刊誌はどうなのか。そういうことをね、ストレートな言葉で二人がそれぞれのSNSで発表した。そういう流れだったわけです。

もちろんね、二人の気持ちは分かる。

そして、二人が同じタイミングで、同じような形でメッセージを出しているということは双方で示し合わせている証拠でもある。その行為自体が不仲ではないことを示してもいるとも言えるわけだしね。

インターネットでの反応では、やっぱり週刊誌はウソばっかりやとか、マスゴミとかいう言葉が勢いよく飛び交っています。それも蓋然性に溢れることというか、ま、そらそうなるやろという範疇やと思います。

ただね、僕が思うのは、ここにこそ何と言うのかな、浅薄さというか、今の世の中の“恐いところ”が隠れてるんじゃないかなと。

こういうことがあると雑誌なんて全部ウソばっかり。芸能マスコミなんて全部いい加減なもの。

そうやって十把一絡げに捉えて、全てを同質なものとして「ここにはどれだけ矢を打ち込んでも大丈夫」とやり玉に挙げる。

一言で言うとね、精査しない。精査する意識を持たない。これはね、今の日本の病巣やとも思うんです。

ハッキリ言って、今は加速度的と言うのかな、こちらの意識が追い付いてないくらいの情報化社会になっている。

その中で大事なのはね、目ですよ。物事の本質を見抜く目です。

まさに玉石混交の中から何が玉で、何が石なのかを判別する。判別しようとする。

この感覚が大事やと思うんですけど、それをせずに、そういった情報が作る傾斜と言うのかな、そういうものを利して何となく心地よい方に進んでいく。滑っていく。そういうところに怖さを感じわけです。

芸能マスコミは全部ダメ。マスコミは何もかもマスゴミ。そういう目が、記事の真贋を見定めない目にもつながっていて、それがまた贋でも目を引く記事をのさばらせることにもなる。そういう構図になってると僕は思うんですよね。

この“慣性的感性”とでも言うのかな。自分で立ち止まって精査をしない。これを助長しているのがSNSなるものなんでしょうけど、これはね、なんとかせなアカン。本当にね、そう思いますよ。

もちろん、今の雑誌やスポーツ新聞の金儲けの仕方として、インターネットのアクセス数を稼いで収入を得るというのもある以上、目を引く記事を書きにかかる流れを止めるのは難しい。

ただね、見る側の目が肥えて、そういうものを書いているところの評判が落ちて、そういう記事を出すことが逆に損になるとなれば、これは金儲けの原則としてそういう記事は減っていくはずなんですよ。

それとね、正直な話、真っ当な記事を書いている芸能記者からしたら、これはね、いい迷惑ですよ。

芸能記者も十人十色。ラーメン屋さんにもね、いろいろなラーメン屋さんがある。

作っているラーメンも違うし、お店の規模も違うし、何を是としてやっているか、その答えはお店の数だけあるわけです。

それを「ラーメンは油ギトギトで味も濃いし、体に悪い」と画一的な考えで否定する人もいるのかもしれない。

どう思うのも自由ではあるんだけど、それは正鵠を射る指摘ではないのも事実やわね。実際、いろいろなラーメンがあるわけですから。

こだわりの材料で、丁寧に美味しくて体にも優しいラーメンを作っているお店ももちろんたくさんあるし、そこを全部をひとまとめにして否定するのは、それ自体が一つの損失であり、もっと言うと、自らの軽薄さをわざわざ露呈させていることにもなると僕は思うんやけどね。

そしてね、ハッキリ言って、こちらからしたら、同業と見られるところで粗雑なものが乱立するのは迷惑です。

ただ、そういうものがたくさんあるからこそ、こちらの完全無添加の弁当が売れるというのもあるんやけどね(笑)。

ま、難しい部分もあるけど、今は転換期ですよ。そして、本物しか残らない。これがいつの世にも通じる理なのも間違いない。

まだ髪の毛は白くならないので、藤本義一さんへの憧憬をnoteで表現してみる47歳。

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