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芸能記者と芸能リポーター・後編

昨日は芸能記者と芸能リポーターについて、そして、僕が芸能リポーターと呼ばれることへの違和感について綴りました。

その中で、違和感を覚えるには2つの理由があるとお伝えしていましたが、今日は2つ目の理由について綴ります。

2つ目の理由は、中西正男という個を確立するためです。

僕がやっている仕事を極めて客観的に見ると、芸能記者です。ハッキリ言って、これだけの量と出力で芸能人のインタビュー原稿を書いている人は、日本でもほぼいないと思います。

一方で、メディア出演も多数させていただいています。

メディアに出て芸能の話をしている時点で、芸能リポーターという呼び名で呼ばれる理屈は分かります。ただ、実態とは合致していないのも、またさらに堅固な事実です。

もともと空手をベースに総合格闘技に入り、今も打撃を中心にしたファイトスタイルをとっている。もちろん、総合格闘技なので、グラウンドになれば寝技も使うが、あくまでも軸は打撃。実際に、勝った試合の9割は打撃によるKOという結果も残っている。という選手に対し“関節技の鬼”という異名をつける違和感。

そんな感じに似ているのかもしれません。

「ま、そんな感じでもいいんじゃないの?別に、目くじら立てるところではない」という考えもあるのかもしれません。

ただ、この“書く”ということをやっている。否、やっているのみならず、その世界で結果を出している。それが僕のアイデンティティであり、今後、あらゆる扉を開けていくカギにもなる。

だからこそ、なんとなくの空気に流されず「中西正男という商品はこういうものです」という個を打ち出すために、ここは強くこだわっています。

もちろん、商品である以上、最終的に評価するのはお客さん、消費者の皆さんです。

ただ、少なくともパッケージにそれを明記しておかないと、皆さんエスパーではないので、その商品の特徴や使い方、有用性が分からない。なので、僕は強く「芸能記者です」とこういう場でも打ち出しているわけです。

テレビやラジオでたくさんおしゃべりもさせてもらうが、何より、書き手としてしっかりと原稿を残していく。

今までの概念には収まらない概念。書くことがあくまでも軸で、それをもとに、おしゃべりもしっかりとさせてもらう。小さな世界だが、記者を軸にした二刀流を確立する。そして、その二刀流の技術を使い、新たな戦い方を発明する。

それが今後目指すべき方向性だと思っています。

弟子がまさに僭越の極みながら、我が師匠・井上公造という人は、それまでは芸能人との対立構図が一般的だった芸能マスコミに、新たな発明“融和”を生み出しました。それにより、次世代の扉を開けました。

弟子が師匠にできる唯一の恩返しは、師匠を超えることです。

漫画「美味しんぼ」には天ぷら屋さんを舞台に、弟子が師匠を超えるくだりを描いた話があります。

名人と言われた先代から店を引き継いだ二代目。なんとか師匠を超えたいが、なかなかお客さんの評価はままならない。

そこで、二代目がとった策が先代を確実に超えるものを作るということでした。

最後の締めに出てくるご飯に添えるぬか漬け。これをぬかから厳選して、すさまじいクオリティーのものを作ります。

そのことにより、お客さんからは「腕を上げたね」という言葉をもらい、その賛辞が天ぷらや店全体の評価にもつながっていくという話でした。

僕にとっては、書くことが“ぬか漬け”だと思っています。

だからこそ、おろそかにはできないし、そこをなんとなくで済まさない。あらゆる局面で。

自分にとっては非常に大きな部分だが、フツーに見たら「知らんがな」ど真ん中の話であることを“スキ”の数から再認識してしっかり気落ちはするものの、それでも穴子の口溶けを思い起こして自らを鼓舞し、これはしっかり書いておく46歳。

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