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「ナカのナカまでふか~く愛して」翌日

今朝の朝日新聞には拙連載「TV笑ケース」が掲載されています。お笑いトリオ「我が家」の坪倉さんのインタビューです。

そして、昼には読売テレビに入り「クギズケ!」の収録。

昨日は人生初の僕一人だけのイベントでした。これでもかと、あらゆる感情が渦巻いた1時間でした。

そこから何時間かすれば新しい朝は来る。そして朝日新聞は配られるし、昼からは収録も始まります。

要は、なにがあろうがなかろうが、いつも通りの日常が訪れ、それに対峙していく中で時が過ぎていきます。

読売テレビに入る前、午前中にもう一つ案件がありました。

「メッセンジャー」あいはらさんのYouTubeラジオ「パララジオ」に出してもらうことでした。収録場所となった吉本興業の会議室に向かいました。

マネージャーさん経由で、あいはらさんが前日の配信を見てくださっているという話はなんとなく聞いていました。

「正男ちゃん、苦戦してたな」

恐らくはそんなお声をいただくであろう心づもりをしていました。

その評価をいただくことがイヤなわけでもないし、そらそうだろうというものでもあるし、何より、何かしら言葉をいただくこと自体がとてもありがたいことです。

多分に個人的な心情になりますが「家に帰るまでが遠足」のように「あいはらさんの話をうかがうまでがイベント」という感覚があり、覚悟を定めた上で会議室に入りました。

「見たで。良かったやん」

サラッと言葉をいただきました。そして、僕の中の澱がサラサラとほどけていく音が聞こえた気がしました。

ただ、僕の中にあるふがいなさへの憤りがを雲散霧消させてはいけない。そんな自戒の念があるのも事実でした。

ただ、自分でも購入していた配信チケットを使い「一回、自分でも昨日の映像を見てみようか」という気に初めてなりました。

先ほど、1時間の配信を全て見ました。

お粗末。

下手。

面白くない。

そんな無数の巨岩が道をふさぎ、1時間の道程のゴールまでたどり着かないかと思っていましたが、たどり着きました。

先述したような岩がなかったわけではない。むしろ、明確に岩がゴロゴロしていることもしっかりと再確認しました。しかし、最後まで何とか見ることはできた。

そこに一定の評価は与えるとともに、お金をいただいた皆さまに見せるようなものではない部分。そして、もし次があるならば、明確に改良した方が良い部分もくっきりと見えました。

まず、一人でしゃべるということ。

これはもうやらない方が良い。

これを一回やってみるのは悪い話ではない。お金をいただいている皆さまに突き合わせることではないが、実験としてはこれでもかと得るものがありました。

ただ、お金をいただいて見世物をする以上、ルールでがんじがらめにしてspectacleのないものをお見せするのは得策ではない。

これはやる前から思っていたことですが、当然、僕にも得手、不得手があります。

芸人さんでも、タレントさんでも、アナウンサーという職業でもないしゃべりの素人が烏滸がましい限り。

全ての文章にこの枕詞をつけるべき領域ですが、ありがたいことに関西のラジオのトッププレイヤーと同じグラウンドに立たせてもらっています。草野球や社会人野球ではなく、日々、プロ野球、否、オールスターみたい試合に出してもらっています。

素人なりに、仮に僕を選手とするならば、何に秀でた選手なのか。

僕が考える僕という選手の特徴は“魂の暗部の狙撃”にあると思っています。

相手のしゃべりから僅かに見えた本音を引っ張り出し、一番恥ずかしいであろう言葉で一刀両断する。

調子よく持論を展開し、持論の展開で生まれたエネルギーでさらに前に進もうというサイクルを感じた瞬間、必ず相手がコケるであろうところにサッと足を出す。

同意というエサを与えて丸々と肥えさせた相手の気持ちを、何の躊躇もなくトラックに乗せて出荷する。

そんなムーブに、記者としての取材や経験、言葉選びの勘みたいなものを加味して何とかプロと渡り合う。それが選手としての生命線だと捉えています。

すなわち、僕が使っている“技”というのは相手がいないと発動できないものばかり。

漫画「キン肉マン」の初期の対戦相手にジェシー・メイビアという選手がいました。

その選手は返し技、カウンター技術に秀でた選手でキン肉マンがどんな攻撃を仕掛けてもその力を利用して全てを返します。

ただ、キン肉マンが攻撃をやめ動きを止めたら、途端に何もできなくなる。カウンターのスペシャリストということは、相手の動きがないと自分からは動けない。

無論、僕はスペシャリストでもないですし、この比喩が全てを拾い上げられているわけではないですが、相手不在の中でいったい僕は何の技で戦うのか。

イベント前から、我が事ながらいろいろ夢想していた部分ではあったのですが、結果的には、劇中のジェシー・メイビアのように見事なまでに散りました。

もともと柔道をベースに押さえ込みと腕関節を決め技としていた総合格闘家がボクシングの試合に出る。使える技がほとんどない。そんな例えも近いのかもしれません。

重ねて綴りますが、そんなものはお金をいただいた人にお見せするものではない。

しかし、お金を払った方が見てくださっているリングだからこそ、最後まで投げ出さず、ボクシングルールで自分ができることをズタボロになりながらも確認させてもらいました。

そして、ボクシングで戦うなら“コンパクトなすべらない話”の連打を臆せずやれるスタミナとハートの強さ。

そして、自分の中に何人かの自分を作って出し入れする技術の錬成。

そういったことが必要であろうことも朧気ながら感じることができました。

もし、次があるならば、どなたか手の合うアシスタントさんをお呼びすることになると思います。

もしくは、僕がプロとして胸を張れる取材をするということ。原稿を書くこと。

これを融合させ、どなたか取材対象を一人お呼びして1時間でプロである僕がその人にインタビューするさまを配信としてお見せする。

配信イベントなので、そこに多少のエンターテインメント要素が入るとは思いますが、基本的には僕のプロの部分をのぞき見していただく。

そして、そこで取材したものが後日Yahoo!拙連載など原稿化される。そんな立体的かつプロとしての胸を張れるものと配信を融合させる。

まだまだアイデアとしても粗い話ではありますが、そんな「芸能記者・中西正男の60分1本勝負」みたいな企画も、考えたり考えなかったりしています。

全ては、僕が考え、僕が決め、僕が責任を取るしかありません。生き恥を晒すのも自分。賞賛を受けるのも自分ですから。

昨日のnoteでも書かせてもらいましたが、時間が不可逆である以上、チケットを買っていただいた方には「あの中西正男の筆おろしを自分は見たんだけど、あれはひどかった」と自慢話を今後していただけるように僕が大きくなるしかありません。

壮大な恩返しになりますが、その日に向けて明日も原稿を書きたいと思います。

タイトルの写真は、配信の最後のセクシャルなコーナーで使おうと思っていたグレープフルーツです。

いただいたメールの評価方法として本当は八朔を買いたかったのですが、季節的にどこのスーパーにもなかったので代用品としてグレープフルーツを買いました。

ただ、結果的にはグレープフルーツを使う余裕もなく1時間が終わりました。これもまた一つの事実です。

使わなかったグレープフルーツを持ち帰り、イベントへの忸怩たる思いと自分のナニに見立てたというエッセンスが乗っかった実を噛みしめる。

グレープフルーツ本来の苦みとはまた違う苦みが迸り、これはこれで、味が増しますわなぁ。

そんなこんなで今日も生きる46歳。

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