The Evil HooDooのライブ盤

The Evil HooDooのライブアルバム

"The Evil HooDoo in GARAGE ROCKIN' CRAZE" live at Shimokitazawa SLITS 1995.8/20"がリリースされた!突然!

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このアルバムはそのタイトル通りGarage Rockin' Crazeに彼らが出演したときの録音である。この音源はリリース元レーベル”Search Of Many"の主宰EL-QUANGO氏が当時SLITSのスタッフであり、自主録音して寝かしてあったものである。今回、PEACE MUSIC中村宗一郎氏のマスタリングを施してリリースに至った。

ここまでは前段階っていうか、基本情報ね。

The Evil HooDooというバンドの説明は以前書いたブログがありますのでそちらを読んでみてください

で、今回出たCD、買いたい人は一応Target Earthにありますが、買えるところで買ってください。

僕にとって大事なのは、これがThe Evil HooDooのCDってことなのはもちろんなのと、1995年8月20日、自分もそこSLITSにたしかに居たってことだ!

って言っても、26年前かよ、、、正直言って記憶が薄れている部分もある。この盤で最初の一音を聴いたとたんに全部鮮明によみがえってきたよ!とか言えればカッコいいけど、実際には聴いて書きながら思い出そうとしている。

僕の記憶では、SLITSのGarage Rockin' Crazeでは1回だけDJをやったことがあるんだけど、それがはたしてこの日だったのかどうなのか、、、たぶん違う日だろうな。このCDに付いている縮小版復刻チラシには僕の名前がないからだ。

しかしながら、この場に僕は居た。証拠としてはここで写真を撮っていて、ネガにつけてあるメモには1995年8月20日と書いてある。ウソの日付のメモをつけとく意味がないから、居たってことでいいかな、とは思う

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これがその写真。CDの裏ジャケに採用されてますが、若干バンドのイメージと違うかな。活動後期における普段の彼らはこんな感じだった。写真はライブ前にSLITSの店内で撮った。ジャケかなんかに使おうと思って撮ったんだっけ?CDに載ってるライブの写真は当時Evilの写真をよく撮っていた金子さんによるもの。小川くんにもこのときのライブ写真あるか?訊かれたんだけど、僕はこのときなんでかライブの写真は撮ってなくて、この写真のヴァリエーションが数枚あるだけだった。

CDを聴いて、この音質、これは一般からすれば悪い方の部類に入ると思うけど、それがかえって彼ら音楽の迫力を裏付けることになっている。SLITS自体はクラブなのでレコードの鳴りとライブの鳴りの両方の記憶があるし、そういう意味ではライブはこんな音響だったような気もする。彼らの音楽性はひじょうにかいつまんでいうとオルガン・ガレージということになるだろうが、オルガン入りのガレージにしてはすごく重みがあるんですよね。低音系が強い。それが腹にズッシズッシとくるわけ。さらに聴いていくうちになんとなく当日の様子を思い出してきたけど、この日の他にもイーヴィルをSLITSで観た?ものと記憶が混じっているような気もするので、もし間違えてたらだれか訂正してくれるとありがたい。僕の記憶ではあんまり客は多くなく、フロアはかなり余裕のある状態だった。でもイーヴィルのいいところはどんなライブでも全力投球だってことだった。このように客の少ないときも、解散前の2回、超満員の新宿ジャムと同じく満員の歌舞伎町リキッドルーム、変わらず僕にでかいインパクトとインスピレーションを与えてくれたし、踊ってもいいし騒いでもいい。この日のライブで一個だけすごく思い出したのは、マウスさんがすごく踊ってたってこと!

後年になってわかったんだけど、いわゆるモッズのシーンに居る人にもイーヴィルはけっこう支持されてたんだな、ってこと。そんでもって今回のCDのレーベルSearch Of Manyはガレージのレーベルではなく、エレクトロ・エキゾ・ダブと言われた元KING OF OPUSのEL-QUANGO氏がSLITSのスタッフとしてイーヴィルの演奏にインパクトを受けて長い間温存していたということだろうし、当時レコードを出しているMangroveレーベルや僕のTarget Earthもガレージ中心のレーベルかというとそうでもない。こういうことを言うとガレージ・シーンでは評価が低かったの?なんていう人もいるかもしれないけど、Get Hipや1+2からもリリースがあるということから推察するに、多方向から支持があったとみるのが自然かと思う。事実、解散後はガレージ・シーンにおいてちょっとした伝説的存在になっていったわけなので。

ここも記憶があいまいなまま書くけど、1995年の11月に僕は彼らのレコードを出してるんで、このとき1995年の夏にはもうレコーディング終わってたんだっけ?終わってるんだよね、たぶん。レコードにクレジットしてあるかと思ってみてみたけど、録音時期までは書いてなかった。

何が言いたいかっていうと、1995年、僕は自分でレーベルを始めることにして、その一発目にイーヴィルのレコードを出そう、って決めたわけです。そんなこともあって、この年は彼らとある程度の濃い付き合いをしたということ。僕は自分でレーベルをやるんだ、っていうことに高揚感もあったと思う。そのイーヴィルはレコードを出したらすぐに解散しちゃうんだけどね。そんな自分の高揚感も含めての彼らとの関係をこのCDの演奏から想起してしまうわけで、それは他の人とちがう聴き方かもしれないけど。僕にとってはそんなCDと言える。とにかく聴けて嬉しかった一枚だし、聴いてると涙がでてきちゃう瞬間だってあるよ。

この文の最初に「突然出た!」みたいなこと書いたけど、ウソで(笑)、小川くんから都度進捗報告がありました。写真の使用についての確認とか、その写真は本当に1995年8月20日に撮ったものなのか、という確認やデザイン案が送られてきたりとか。勝手にやってくれていいよ、というのと、いちいち訊いてきてくれて嬉しいなという両方の気持ちになったけど、やっぱ嬉しかった。

そんな中で、マスタリング時にみんなで撮ったっていう写真が送られてきた。そこには石川くんの姿があったというのが僕にとっては衝撃だった。

おもえば2016年、ROCK市ROCK座というイベントのためにイーヴィルを2度目の再結成に導こうとしていたのだが、宇佐美くんがそのライブのときに日本にいないということがあり、以前世話になった高取くん(Eagle Never Hunts)にオルガンを頼んで快諾もらったが、石川くんがもうイーヴィルはやりたくない、なんだったらバンドもやりやくないんだということで、説得しきれずにマイケルとミヤギくんにお願いするという流れになった。この編成はいい化学変化を生み出し、新生イーヴィルと呼べるようなものになった。宇佐美くんが戻った形でその後、バックフロムのハロウィンにも出たし新宿ジャム閉店間際の僕の企画にも再度出てもらったりもした。しかし、僕の中では石川くんのことはずっと気になっていたわけで。

時は少し流れて、2019年に僕がビリー・ブレムナーを招聘したときに、下北のスリーに石川くんがひょっこり現れた。髪型のせいなどもあり、一瞬誰かわかんなかったけど、「中上君が呼んだの?すごいライブだったね」という感想をもらった(笑)僕としては石川くんが元気で、しかもロックに興味を持ち続けていてくれているのが嬉しかったわけです。

そして今年、石川くんがイーヴィルのメンバーと写っている写真を見て「これはあり得るな」というようなことを考え始めたりしている。このCDがいっぱい売れて、コロナ禍をある程度脱したときに何かが起こるかもしれない。そんなことを書いてこの文を終わりにしたい。

ライナーのつもりで書こうとしたけど、いつも通りの個人的な文になりました。


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