追悼:笠井裕文(中編)

前編はこちら

Thunderroadsが笠井くんの病院にお見舞いに行った写真が送られてきたとき「カーシーどうしたの?」などと訊いてみたが、その写真だけで何となく察した。彼は重い病気なんだと。

後から聞いた話だけど、笠井くんは病気のことを他言するな、ということを奥さまのしょうこさんに言っていたようで、でもThunderroadsが来る機会はめったにないだろうということで、しょうこさんの判断により半ばサプライズ的な形でお見舞いに行ったということだ。結果的にはThunderroadsと最後に会うことができてそれでよかったのかもしれない。

笠井くんは病院にポータブルのレコード・プレイヤーを持ち込んでいてレコードを聴いていたようで、ThunderroadsのLPもその場でメンバーと笠井くんで聴き「いい音だね」という感想をもらったということだ。我々(Thunderroads+僕)としてはこのLPの音にはLP用のけっこうこだわったマスタリングを施した経緯があり、内部でも賛否両論ある中、これはうれしい感想であった。僕は笠井くんが社交辞令的に友達のレコードをほめるような人でないということを知っている。

笠井くんの入院中に僕にもなんかできないか?と考えたとき、前編の方でも書いたRubber Toonsのライブを僕がビデオに撮ったものがあるので、これをデータかDVDにでもして渡そうと思った。しかし、再生機兼カメラが壊れているので、どうしようか、と考えて何人かに連絡とったあとにハカセに連絡することにした。

ハカセというやつがいる。彼もまたそれほど頻繁に連絡とるような人ではなく、僕としてはPlaymatesの周辺人物という認識でバンド名忘れたけどバンドも観たことがあった。実はハカセは笠井くんにかなり近い人物であり、ある意味弟のようにかわいがられていた(というのを後で知る)。ハカセにTwitterのDMを通じてお願いしたら、業者を探してやってくれるというので、すぐに送った。DVDに落とすことはできたのだけど、残念ながら本人に見てもらうには間に合わなかった。

笠井くんが亡くなって、SNSでは惜しむ声が多くみられた。世の中的にどうかとかはよくわからないし、自分のフォローしている範囲だけの出来事なのかもしれないけど、そこから読み取れるのは、多くのバンドにとって彼は伝道師というか先生のような存在でもあったということだった。

笠井くんは自分の気に入った曲を詰め込んだテープやCDR、いわゆるミックス・テープ、ミックスCDRを作るのが好きで、周辺の人にプレゼントするという趣味があった。みな「〇〇は笠井さんに教わった」というようなことを言う。画像でそれらを見ると、その選曲は幅広く、カッコつけて言うならば、その選曲の幅がいくつかのバンドの視野を広げたということが言えるのではないか?僕はマサハルくんやジーザスのようなゴリゴリのロックンローラーとパワーポップの話ができるというのを不思議に思ったこともあったが、笠井くんに教わった、ということを聞いたことがあるし、そういった意味でThunderroadsと付き合いが続いているのかもしれない、とも思う。まあ、僕はミックス・テープはもらったことないのではあるが、スウェーデンのパワーポップHeartbreakを編集したCDRなどをもらったことがあった。聴く人に合わせて渡すセレクトを考えていたのかもしれないね。

それから2週間くらいしたときだろうか、マサハルくんから「こうじと自分と中上さんの3人で笠井くんの家にレコードの整理に行きませんか?」という提案を受けた。笠井くんの奥さまのしょうこさんはハッキリ言ってレコードの価値がわからないので、われわれでキチンと整理して価値のあるものを変な業者などに買いたたかれることのないようにし、処分するにしてもきちんとした評価の額が手元にのこるようにしようという主旨だ。同時に、マサハルくんとこうじにはいろいろ構想もあったが、ここではまだ書くべきではないかな、、、

関西のしかるべき方たちでやってもらえれば良いのでは?とも思ったが、僕はお通夜に参列できなかったというのもあり、お線香をあげるというのと、笠井くんのレコード棚を見るという興味もあり、行くことにした。

12月某日、かなり早い時間の新幹線にて神戸へ向かった。

新幹線内では寝ようかと思ったけど、相手がこうじ、マサハルくんと一緒では寝れないよな笑。当日の作業手順やいろいろな構想などを話しつつ、わりと早く着いた。駅にしょうこさんが迎えに来てくれていて、笠井くんの家の前ではヴォンくん、サガやんが待っていた。

笠井くんの家に入りまずお線香をあげた。聞いた話ではFinkも1週間前くらいにお線香をあげにきたという。こんど発売されるFirestarterのデモ音源が部屋に流れていた。部屋の中のポスターなどを見る限り、笠井くんの中での2大巨頭はビートルズ(特にポール)とTeengenerate(とその関連バンドFirestarter、Tweezersなど。アニキが書いたしょうもないヒドい内容のサインも大事に額装されていた、、、苦笑)だったのではないか?と思える。かなり思い入れが強かったのではないのかな?

レコード部屋に通してもらう。一部屋がまるまるレコードの部屋だ。その量自体はぷあかうにある1.5倍くらいかな?僕らの間ではわりとこのくらい持っている人はいるので、驚くことはなかった。しかしながら、ほぼすべてが棚にきちんとキレイに収まってるので、随時売ったりして量を調整していたのか、今の家に来る前に売るかしたのだと思う。

レコード・プレイヤーにはAC/DCの"Blow Up Your Video"のLPが乗ったままだった。入院中、何度か帰宅許可が出たときに自宅で最後に聴いたのがこれと思われる。

あと、上にも書いた自作のミックステープ、CDRが異常な数あった。その多くはRadio Karthyというタイトルでシリーズ化していた!昭和系の映画ビデオもけっこうな数あった。

棚に目を移すとビートルズが一角を占めており、ビートルズに関しては「集める」というニュアンスが濃い。

そして仕分けを始める。ビートルズとプリファブ・スプラウトに関しては会社の同僚だったお友達に渡すということでまず除外した。

作業はサクサク進むかと思っていたのだが、なかなか手ごわいというか、僕らの知識では不明なレコードが多く含まれていた。ヴォンくん、サガやん、こうじもそうだろうし、僕もレコードに関してはある程度のエキスパートであると自分では思っていたのだが、その考えは甘かった、、、。前編の方でも書いたけど、笠井くんはゴミくずのようなものから宝石を拾うタイプのディガーであり、特に北欧にてレコード屋回りをしてゲットしたと思われるものがほとんどわからなかった。言ってみればわかりやすい、高いレア盤と同じくらい聴く価値のあるべき、しかし安い盤ということだ。さきほど書いたようにきちんと棚に収まる量にコントロールしているとすれば、残しておく価値のあるレコードがここにあるということが言えるだろう。ただし、売りに行ったけど、どうにも値段がつかなくて捨てるよりましという意味で残しているものもあるだろう。その判断が難しいってこと。もちろん、一枚一枚ネットで調べたり、プレイヤーで聴いたりすれば判断できるだろうが、そうするべき盤の量が多く、それだけの時間をかける余裕がなかった。最初の目的どおりに価値を正当に評価する、という壁がひじょうに高かった。あとになって、オレッちも来たりして(この中では一番近いはずなんだけどね、、、笑)、手伝ってくれてたけど、しばらくしてお昼にしようとなった。

(つづく)



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