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【私はマドモアゼル】多関節のカルロス

 つまり、関節が人より多い、ということがカルロスの人生を一見左右しているように見えるわけだが、生活上の支障が限定的であったがゆえに、ハンディキャップだとは本人も周囲も感じていなかった。とはいえコンプレックスに感じなかったのか、と尋ねられると、確かにそうかもしれんという気にはなるが、だとしても、背の高低差や徒競走の遅い速いのように、ありふれた(しかし人によっては常に緊急事態の)症状に近い感覚だった。

 成績はいつも上位で、それでいて鼻にかけるような性格ではなく、むしろマウンティングを感じさせないボランティア精神で、その人に合った学習法を見つけることが得意な優しい少年であった。
 そして、その柔和な性格に端正な顔立ちが大いに加点され、人並み以上に恋愛もしたし、フリーに戻る時は相手にとって傷の浅い状態で離縁することにも長けていた。最近舞い込んだいくつかの縁談については、身を結んでいないと両親から怪訝な顔をされるが、当の本人が気乗りしないという、極めてよくある感情から妥結に至っていないだけの話だ。

 しかるに、実のところ、カルロス本人が病に対して、どういった心象でもって向き合っていたかという事が、皆の関心事であることは明白だ。それについて分かることは、親の包み込むような勧めもあって、幼い頃から病理的研究対象とされることにも抵抗したことがない(注射の痛みはいくらか強かったが)ということの他に、その筋の第一人者であるオニール博士の人柄が面白おかしく、そのキャラクターの描写を書き綴ったカルロスの作文は、その年、市から顕彰されるほどの出来栄えであった、という前向きなエピソードが示す通りだ。

 ただ、あえて、前述の心持ちを打ち砕く経験があるとするならば、カルロスの20年の人生を振り返ってみた場合、それは10才と19才の冬にそれぞれ1週間ずつあったと言えるだろう。いわゆるこの病特有の「関節のつなぎ替え」という、継続的な痛みに苛まれる症状に見舞われた時だ。一種の成長痛だとの研究報告もあるが、実態ははっきりしておらず、故・オニール博士が最後に残した論文によると、『世界的に症例が少ないため、サンプルが十分とは言えないが、発症する間隔が少しずつ短くなる傾向にあることは、全ての患者に当てはまっている』とのことだった。効果的な痛み止めも未だ開発されておらず、現在は象など大型の動物に処方する麻酔薬を下地に新薬の研究が進められている。身体の免疫力低下に反比例するように、患部の痛覚は増していくらしい。
 そのことを知ったカルロスは、心の中に黒っぽい紫色のもやもやを抱え、時に目の前が霞むような不安と共生するようになった。次はおそらく27才。まだ20才になったばかりだから先は遠いが、昨年の痛みはよくよく覚えている。考えるたびに、胸はギュッとなった。

 そういえば、最近、姉がどんなことでも解決してしまうような、エキセントリックなエンカウントを経験したと、風の噂で聞いた。治療の道も、もしかしたら開けるのかもしれない。早速連絡してみると、マルレリシアのトランジットでなら、多少会う時間が取れるとのこと。カルロスは多軸バイクで蒲々田インターチェンジへ乗り込み、羽根田エアゲートからガリレオ式プライベートドローンに乗り込んでマルレリシアへ飛んだ。空は安定していた。

「人の痛みがわからねぇ人間に、いたずらに歳を取っていいなんてゆー権利はねぇんだよ!あんたみたいな奴はいつまでたってもアゲインストの風に感謝できないんだろうね。」
 不安を打ち明けると、開口一番は喝だった。よく通り、よく響く、しかし若者にしか聞こえない周波数での怒号は、間違いなくカルロスだけを射抜いている。なにせ姉のパートナーを除いては、このトランジットにはセカンドもしくはサードライフを謳歌する人々しか見当たらない。
「アンタが逃げてちゃ、世界中でセルフファイトしている同じ病の同志達はどうすんねん、ってハナシ。共に戦うって、誓いあったばかりじゃないのかね?え?」
 そんな集まりがオンラインであったあの日、お互いの鼓舞に混じって、カルロスは将来の不安が拭えていなかった。でも結局それは自分のことしか考えていないからで、同志面した謀反者に他ならない。それじゃいけないんだ。
 それにしても最近は興奮すると脇からオーロラが出るようになったらしい、姉のマドモアゼル。これもその、エイキュウなんとかって奴との出会いのせいなのだろうか。
「人生選ぶなら、多少危なくって怖くたって、絶対そっちの方がトラバース。大丈夫。アンタはわたしの弟だから。」
 誰かのなにか。それがありふれた帰属性だったとしても、言われるだけで孤独感は安らいだ。マドモアゼルはそう言ったあと、
「じゃっ!」
と発して多関節の患部を小突き、ご自慢のチョリっすを後ろ姿に添えて、トランジットから去っていった。(カルロス自身も似たような性分なのだが)姉と旅のパートナーが次にどこへ行くかは、いつも知らなかった。

 そういえば多関節の悩みを持つオンライングループ『ツナグ/コネクト』で、高齢のおばあちゃんがこんなことを言っていた。
「そりゃあもう、毎年のように痛みに襲われるんやけどね、ほら、うちらって人よりも関節が多いわけやろ?痛い痛いってばっかりでも埒あかんからや、普通の人より沢山の人と【関】わってやな、【節】目の記念日は高く深く熱く大事にしてんねやわさ。ほんだら痛みも逃げてくことが増えたんやわさ。」

 カルロスはその夜、シルキーなハンモックで幼少の頃を思い出し、いつも姉に引っ張られてきた来し方に安寧を感じながら、沢山の仲間の顔を思い浮かべつつ、いつものように月明かりで暖を取って、明日の自分をチャージしたのだった。


今のところサポートは考えていませんが、もしあった場合は、次の出版等、創作資金といったところでしょうか、、、