見出し画像

無用の長物

あっても益のないもの。あっても役に立たないどころか、かえってじゃまになるもの。

精選版 日本国語大辞典

私は大学で4年間かけて、「教員免許状」を手にした。
いわゆる一介の教員の卵としての大学生だった頃は、他の“なんとなく”大学に通っているような大学生とは違うのだぜと、4年間通う意義をそこに見出していた。

ところが、私は大学卒業後、教員の道を早々にドロップアウトした。
軟弱へっぽこ人間である私には到底つとまる職業ではなかったのである。
ああ、夢破れて教員免許状あり。

教員免許状は意外と厄介なもので、履歴書に書いておくと面接で「教員免許持ってるんですねぇ」となって、突っ込む人にあたると「教員に未練はないんですか?」と聞かれることになる。

世間では「教員免許状」がもてはやされる空気感があるが、全く役に立たない「教員免許状」は、ただの紙でしかなく、むしろ、「なぜ教員免許があるのに教員にならないのか」という見方で見られ始める、厄介な紙になってしまった。

私にとっての無用の長物は、教員免許状である。
大学生の頃はあんなに手に入れたがっていたのに、今は「教員免許状というしがらみがなければ、もっと自由に学べたのかもしれない」と思うこともあるくらいである。

しかし、今は役立たぬ教員免許状を手に入れるために入って過ごした大学で、私は森見登美彦に出会い、手痛い恋愛の後悔を負ったことで、役立つことへの懐疑や、焦慮が罪であることに気づくことができたという見方もできるだろう。

そう考えると、無用の用も用であり、無用の無用も用であり、用の無用も用であるのかもしれない。
混濁してきたが、つまり、無用の長物は役に立たず、じゃまになるけれども、役に立たずじゃまになることも、私を形成しているということである。

最後に、私にとっての無用の長物は「教員免許状」であると先に述べたが、社会にとってのそれは「私」であるという自覚もある。
ゆえに、私は社会を形成しているのだ。
今は一介の無用の長物として、役に立たないことを全うしている日々である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?