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督戦隊ジジイの話4

これまで、督戦隊ジジイの攻撃手法を3回に分けて述べてきました。
前例踏襲、トーンポリシング、シーライオニングときて、今回は4つ目。

今回は、マンスプレイニングにします。
man(男性)+explain(説明)+ingでmansplaining。

マンスプレイニングは、私よりも詳しい被害者の方がいらっしゃると思うので、私にしか書けなさそうなものを挙げていきます。

旧来型のジェンダーバイアスにより生じてしまうマンスプレイニングは、男女間のみに限らず世代間でも生じます。
ゆえに男性かつ高齢には、顕著に生じます。
教えたがりおじさんと呼ばれる、若手ジジイだの高齢ジジイだのはまずマンスプレイニングです。

そんなよくあるマンスプレイニングの中でも特に、ジジイに顕著なのは、「俺はこうした。」や「俺はこう思った。」でしょうね。
そこに「俺みたいにしろ。」が隠れていたり隠しもしなかったりします。

実務者から督戦隊になったジジイは、まず実務者だった頃の思い出話をします。
それが参考になっているうちは人生の先輩であるのですが、全く参考にならなくなっても思い出話を繰り返す。
それが督戦隊ジジイの特徴であり欠陥です。

これはもういいかな、という言葉がいくつかあるのですが、典型なのは以下の3つあたり。

「あんたも知ってるだろうけど」
「この前話したと思うけど」
「不易流行の不易は」

まず、既有知識を言われても困ります。
既有知識から膨らんでいくということはもちろんあります。けれども、ジジイの場合には、膨らまずに終わっていくことが結構ある。
既有知識を前提としてその上で、何らかの新しいプラスアルファがあるものこそが、実務者の求めているものだとわかってほしい。

その次は、この前話したと思うけど、と前置きして、またしてもその時の膨らまなかった既有知識の話に入る話。
この前したよな、という確認ができるなら、今度こそプラスアルファがあるように話してほしい。けれども、だいたいまた膨らまない話です。

こういうジジイは「不易流行の不易」という言葉が大好きです。
不易流行の流行部分にこそ注目し、積極的に変化をしないといけない。

トーンポリシングやアナログポリシングになるだけの昭和の差別、昭和の手紙、昭和の郵送、そういうものの温存は要りません。そんなものが不易であってはいけないのです。昭和がどれだけ素晴らしいものだったか、といったマンスプレイニングなんてされても困るわけです。
(光には影があったのです。)

不易流行の流行が早いのがわからなくなったら、エビデンスを要求するシーライオンになるべきではないのです。
「これを聞かせろ、これも聞かせろ。」となっても、次は「これを言わせろ、これも言わせろ。」とマンスプレイニングが始まるものとだいたいは決まっています。
高齢者に実務者の時間が奪われてしまいます。

実務者には高齢者の接待という雑務を増やしてはいけません。マンスプレイニングに付き合わされても、非高齢者は困ります。
「いやいや失敗しないように」という老害を何人も見てきました。失敗こそが成長のもとなんで、奪わないでほしいと思います。
けれども現状、「俺の!俺の!俺の話を聞け!」がある。
マンスプレイニングは恐ろしいものであると、私でさえ思います。

炎上したら有料にします。

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