見出し画像

肺がん


ばあちゃんからの一言。

絶句。

80歳をこえても自分で車を運転し、毎日入浴施設に行くことが日課である。
手作りの甘酒や毎食料理を作り、食事と健康には人一倍気をつけている。

周りのお年寄りや年相応の方よりも、肌にツヤがあり、物事もはっきりしている。
とても元気な後期高齢者の1人。

そんなばあちゃんから「肺がん」と言われてショックだった。


同時に初めて「死」を意識した。


見る限り元気な姿でニコニコしているばあちゃんがまさか「がん」になるとは思ってもいなかった。

健康や食事に関して気をつかっている分、
これから何ができるか、
孫として何をしてあげれるか、

ということばかり考えてしまう。

会える時に会って話をすることが1番のくすりではないか。


老病は成長

病気になると誰しも最悪のことを考えたり、悲しい気持ちになる。
これは必然で今まで考えなかったことが現実になっているからだ。

老い、もそうである。
生きていれば歳をとり、いままでできていたことができなくなることもある。

生きて死ぬ。
死なない人なんていない。
ずっと生きている人はいない。


あるラジオ番組で
「年をとる、病気になる。恐れてはいけない。心身ともに成長するチャンス」

深い言葉。
人生において老いも病もつきまとうもの。
これまでの人類もそうだった。
これからの人類もきっとそうであろう。

老いに対してあまりにも悲観的で暗い気持ちになる。


できていたことへの怒りよりも、
できないことへの有り難さを教えてもらうチャンス。

病気に罹ったことに、これからの人生の喪失感を抱くよりも、
罹ったからこそわかる生きるむづかしさ。

あの日あの時の輝かしい自分の栄光は、しょせん過去。
今生きるわたしは未来にしかない。

どんなに悔やんでも過去は変えられない。

だけれども未来はいくらでも変えることができる。


ばあちゃんに「がん」と言われて本当にショック。
まさか。。。
これが本音。大切な人は絶対に守れない。

いつ何が起きるかわからない。自分自身も大切な人にも。

失って初めて気づくことが多いが、それも当然。
その時になってみないとわからない。

だけれども、これからやることは今までとは違う。
当たり前の中で生きていること、生かされていたことに気づくきっかけが
老いであり、病気である。

歳を取っても、病気になっても死んでないなら、楽しいことしたいじゃん!
ばあちゃんも見るからに元気!
死なないんじゃないか、と思うくらい!

確かに病名がついて、苦しい治療もあると思う。
大切な人を守れなかったことは悲しいが、
今までできなかったことをするきっかけが生まれた。

幸いにも家から近い。
小さくてもできることからやっていく。

大切な人は絶対に守れないけど、大切な人との時間は奪われたくない。



おっと、ルンバがよんでいる。
今日はこのあたりで。ありがとうございます。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?