カール・マルクス ──「資本主義」と闘った社会思想家 (ちくま新書)佐々木隆治(著) を読んで

マルクスの著作は「共産党宣言」と「資本論」の四巻途中まで読んだことがある。数式が羅列されるようになったので、数字アレルギー持ちとしてはそれ以上読み進められなかった。しかしそこまではなんとなく興味深く読んだ覚えがある。いかんせん途中までだったので、概要を知りたくこの本を購入した。

本書で伝えたいことは、たったひとつ、カール・マルクスの理論が現代社会の変革にとって最強の理論的武器であり続けているという事実である。
佐々木隆治. カール・マルクス ──「資本主義」と闘った社会思想家 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.53-55). Kindle 版.
資本主義システムの運動法則を明らかにすることによって、その変革の方向性を示し、どのような実践によって「産みの苦しみを短くし、やわらげる」ことができるのかを示すのである
佐々木隆治. カール・マルクス ──「資本主義」と闘った社会思想家 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.136-138). Kindle 版.

 1つ目が本書の主旨で、2つ目が「資本論」の主旨だ。そしてマルクスの思想の変遷が書かれる。

 原点は詩作と文学だったようだが、才能がないことで断念。法学も限界を感じ、哲学へと移る。哲学では啓蒙主義においての「民主制」という変革構想を見出す。

私的個人からなる市民社会においては、身分支配にもとづく政治権力が存在しなくなるかわりに、貨幣の力が強大になり、「世界の支配権力」になってしまう。簡単にいえば、カネがすべてであり、カネさえあればなんでもできる、という社会になってしまうということだ。
佐々木隆治. カール・マルクス ──「資本主義」と闘った社会思想家 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.498-500). Kindle 版.

経済学の研究を始め、商品や貨幣、資本といった私的所有物からなるシステム自体に疑問を持つ。そして、そもそも私的所有物を生み出す貨幣等は「疎外された労働」によって生まれることを見出す。

 近代社会において、労働者の大部分は他人に雇われて働いている。このように他人に雇われておこなわれる労働のことを賃労働という。この賃労働は労働者が自分自身でおこなう労働でありながら、自分自身の意思にしたがっておこなわれる労働ではない。なぜなら、雇い主の指揮命令にしたがってなされる労働だからだ。だから、近代社会における賃労働は、自分でおこなう労働でありながら、自分にとって疎遠な労働になってしまっている。このような労働をマルクスは「疎外された労働」と呼んだのである。
佐々木隆治. カール・マルクス ──「資本主義」と闘った社会思想家 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.576-581). Kindle 版.

そして啓蒙主義からの脱却を図る。

平たく言えば、理論の役割は「なにが間違っているか、なにが正しいのか」を明らかにすることではなく、「なぜ、いかにして疎外が生じているのか」を現実の諸関係から明らかにすることであり、それをつうじて、どこでどのように闘えば社会を変えることができるのかを示すことなのだ。
佐々木隆治. カール・マルクス ──「資本主義」と闘った社会思想家 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.733-735). Kindle 版.

上記の箇所を読んで、「はじめての哲学的思考」に出てきた「問い方のマジック」における二項対立を新たな問題として組み替えることと同義性を感じた。

 それからマルクスは現実の人間の生活、労働の分析にかかり、哲学からも離脱して「新しい唯物論」を確立した。

 マルクスの変革の構想の出発点である「物質的生活の再生産」における「生産力の発展」とは、

 封建制の内部で生産力が発展し、剰余生産物(生産者自身の生活に必要とされる以上の生産物)が増大すると、それが商品として販売されるようになり、貨幣経済が浸透していく。そうすると、より自由に商業活動を営みたいという要求が高まり、封建的規制の撤廃を求める政治運動が台頭する。そして、市民革命などの政治的変革をつうじて生産関係が変革され、ブルジョア的生産関係、すなわち資本主義的生産関係が生まれてくる。
佐々木隆治. カール・マルクス ──「資本主義」と闘った社会思想家 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.803-807). Kindle 版.

そこから、 前出の「産みの苦しみを短くし、やわらげる」ための「資本論」へと移る。

あたかも医学が陣痛の苦しみをやわらげ、流産の危険を減少させることができるように、「社会の運動の自然法則」を理解する社会科学は社会変革にとって有効な諸実践を明らかにし、「産みの苦しみを短くし、やわらげ」、流産の危険を減少させることができる。いわば『資本論』は、新しい社会を産み落とすための医学なのである。
佐々木隆治. カール・マルクス ──「資本主義」と闘った社会思想家 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.893-897). Kindle 版.
『資本論』は私たちが当然だと考えている経済活動の見方を根本から変えることを読者に要求する書物なのだ。そこに、『資本論』の最大の魅力があり、難しさがある。
佐々木隆治. カール・マルクス ──「資本主義」と闘った社会思想家 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.993-995). Kindle 版.

 「資本論」の冒頭にして重要な「商品」について。

 私的労働によって社会的分業を成立させている社会においては、労働生産物は価値という社会的力を獲得する。このように、価値という属性を獲得した有用物のことを商品と言う。
佐々木隆治. カール・マルクス ──「資本主義」と闘った社会思想家 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1283-1285). Kindle 版.
人間たちは自分たちがおこなう生産のあり方を自分たちじしんで社会的に決定するのではなくて、市場における商品の交換価値の変動をみて、事後的に自分たちの生産を調整するのである。

 上記の具体的な例として分かりやすいのは、減反政策か。

 次は貨幣について。

 すでにみたように人々が商品交換に貨幣を使うようになると、新たな欲望が芽生えてくる。つまり、たんに使用価値を手に入れるための手段として貨幣を欲するのではなく、貨幣そのものを欲望の対象とし、それをできるだけ多く取得しようとする欲望が生まれてくる。

 確かに資本主義は欲望が生んだ。だからこそ助長すれど終わらずか。

現代を見透しているような。

自分を取り巻いている労働者世代の苦悩を否認するじつに「十分な理由」をもつ資本は、その実際の運動において、人類の将来の退化や結局は食い止めることができない人口の減少という予想によっては少しも左右されないのであって、それは地球が太陽に墜落するかもしれないということによって少しも左右されないのと同じことである。どんな株式投機においても、いつかは雷が落ちるに違いないということは誰でも知っているが、自分自身が黄金の雨を受け集め、安全な場所に運んだあとで、隣人の頭に雷が命中することを誰もが望むのである。「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」、これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんの顧慮も払わない。(『資本論』第一巻)一八六七年のマルクスの言葉が、まるで現代日本の社会状態を予見しているように聞こえないだろうか

 前近代の労働について。現代でいえば下町の工場の職人的な技術のようなことか。

 貨幣の力によって労働力を購買し、その使用権を獲得するだけでは、資本による賃労働者の支配はまだ確固たるものではない。なぜなら、じっさいの生産過程において生産手段を扱うのは賃労働者であり、賃労働者が生産にかんする知や技術をもっているうちは生産過程を資本の思うようにコントロールし、支配することはできないからだ。
 近 代 以 前 に お い て は 生 産 に か ん す る 知 識 や 技 術 は そ の 生 業 を 営 む 一 部 の 人 に 独 占 さ れ て い た 。 つ ま り 、 秘 伝 の 技 を 世 襲 で 伝 え て い た ギ ル ド に 典 型 的 な よ う に 、 生 産 に か ん す る 知 は 特 定 の 人 格 と 結 び つ け ら れ て い た

 私みたいな自己所有の店で理容師という、技術を用いての自営業も未だにギルド的たが、搾取されることなく、快適に生活を営める。ただしこの資本主義の構造の中でだが。

 資本主義の誕生について。

資 本 主 義 も ま た 、 暴 力 を 「 助 産 婦 」 と し て 、 旧 社 会 、 す な わ ち 封 建 社 会 の 胎 内 か ら 誕 生 し た 。 す な わ ち 、 土 地 の 事 実 上 の 所 有 者 で あ り 、 ほ ぼ 自 給 自 足 の 生 活 を 営 ん で い た 農 民 を 土 地 か ら 引 き 剝 が し 、 労 働 力 し か 売 る も の を 持 た な い 賃 労 働 者 を 生 み 出 す こ と に よ っ て 、 資 本 主 義 は 生 ま れ て き た の で あ る 。 こ の 誕 生 の プ ロ セ ス の こ と を 本 源 的 蓄 積 と い う 。
「資本は、頭から爪先まで、あらゆる毛穴から、血と汚物とをしたたらせながら、この世に生まれてくる」

 資本主義の終わりとは、

 所有の主体は国家や社会ではなく、自由なアソーシエイトによって人格的に結びついた自由な諸個人である。彼らは、あたかも前近代の独立自営農民や職人のように、生産手段との自由な結びつきを回復する。こうして、私的労働と賃労働という労働形態は廃絶され、したがって資本主義的生産様式も廃絶される。誕生するのは、自由な諸個人のアソシエーションにもとづく社会である。

 急進的で楽観的な恐慌革命論から、視野を広げ長期的なスパンで考えられた改良闘争を重視する。その中で労働時間規制のための闘争において「余暇時間でもあれば、高度の活動のための自由時間は、もちろん、その持ち手をある別の主体へと転化する」とあるが、現在でいえば副業か。しかし、時間に余裕を持った者全てが高度な活動するわけではないのではとも思う。

 職業教育や技術訓練に関しても、それを習得したからといって資本に対抗する力がつけられるのか。むしろ資本の構造の中で自己資本を増やすだけではないのか。

 ソ連の失敗の要因として、

生産手段を国有化しただけでは、たんに資本の担い手が私的個人から国家官僚に移行するだけであり、そこで働く労働者が賃労働者であることには変わりない。
佐々木隆治. カール・マルクス ──「資本主義」と闘った社会思想家 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2161-2162). Kindle 版.
マルクスにとって「可能な」共産主義とは、国家による計画経済などではなく、労働者たちのアソシエーションである協同組合が互いに連合し、社会的生産を調整する、そのようなシステムであった。
佐々木隆治. カール・マルクス ──「資本主義」と闘った社会思想家 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2173-2175). Kindle 版.

 現代のコミュニタリアニズムのようなものか。

労働は、さしあたり、人間と自然とのあいだの一過程、すなわち人間が自然とのその物質代謝を彼自身の行為によって媒介し、規制し、制御する一過程である。 マルクスが労働について考える際の大前提は、人間が自然の一部であるということである。

 この思想は好きだな。おごることなく、自然に対して謙虚に生きる。スピノザの神=自然の思想のようで。

価値増殖を目的とする資本主義的生産は物質代謝の論理と齟齬をきたし、人間と自然とのあいだの物質代謝を攪乱してしまう。もしこのような傾向を放置するのなら、資本はその際限のない価値増殖運動をつうじて労働力と自然環境を破壊し、資本主義社会、ひいては人類の存在すら脅かすことになるだろう。これこそが資本主義社会の根本問題なのである。

 まさに現在の自然破壊。「物質代謝」は今のエコロジーに近い意味。

マルクスはジェンダーについても言及している。

大 工 業 は 、 家 事 の 領 域 の か な た に あ る 社 会 的 に 組 織 さ れ た 生 産 過 程 に お い て 、 婦 人 、 年 少 者 、 お よ び 児 童 に 決 定 的 な 役 割 を 割 り 当 て る こ と に よ っ て 家 族 と 男 女 両 性 関 係 と の よ り 高 度 な 形 態 の た め の 新 し い 経 済 的 基 礎 を 作 り 出 す 。 要 す る に マ ル ク ス は 、 資 本 主 義 の 発 展 が い わ ゆ る 女 性 の 社 会 進 出 を 促 す こ と に よ っ て 古 い 男 女 関 係 を 変 革 し 、 よ り 高 度 な 形 態 で の 男 女 関 係 や 家 族 の あ り 方 を 築 き 上 げ る た め の 基 礎 を 形 成 す る と 考 え て い た 。

 晩年まで精力的で探究心が旺盛だった

 共同体研究を深めるために、五〇代になってからロシア語を一から学ぶことさえ厭わなかった。健康上の制約が大きくなっていくなかでも、マルクスは自らの理論を鍛え上げ、それをより広範で具体的なものにしようとする努力をやめなかった。

 

 マルクスが、マイノリティ、ジェンダー、エコロジーまで考察しているとは知らなかった。

しかし全ては資本主義的生産様式に抵抗するための理論的勢力としての必要性からだったようだ。

マルクスは社会的マイノリティの問題を階級問題に還元して満足してしまうのではなく、それらが資本主義的生産関係とどのように絡み合っているのかを具体的に分析し、社会的マイノリティに資本主義的生産様式に抵抗するための潜勢力を見いだした。その後の社会運動の展開を見れば、マルクスの先駆性は明らかであろう。
労働運動においては、労働時間の制限と職業教育・技術教育によって資本の外部を維持し、拡大しようとした。農業においては、物質代謝の具体的論理を明らかにする農学にもとづいて、資本による物質代謝の攪乱を抑制しようとした。人種やエスニシティ、ジェンダーによる分断を利用して自らの支配を貫徹しようとする資本の傾向にたいしては、労働者階級と社会的マイノリティとの連帯によって対抗しようとした。さらに、非西洋世界においては、前近代的共同体の積極的要素によって物象の力を封じ込めようとした。

 「資本論」を途中で断念したとき、「あ~、何となく分からないようで、分かりそう」というもどかしさと悔いと羨望があった。今はマルクスに対する敬意を抱いた。偉大な思想家は、当たり前を疑い、タブラ・ラサ(白紙)から自分の思想を構築していくという、難儀を一生を通じて行うということを再認した。

 その過程を分かりやすくまとめている本書はマルクスの人物像、思想の変遷、ひいてはそこから考察する現代社会について。多くを読者に示唆してくれると思う。


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