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『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬 (文春文庫)』(若林 正恭 著)を読んで

 若林君(童顔なので、君の方が合うと思う)は、まだ僕がNFL、アメリカのプロアメリカンフットボールリーグを観ていた頃、関連番組に出ていて、フットボール経験者だということを知ってから、気になる存在ではあった。
 しかし、普段テレビを観ない僕はその後NFLさえ観なくなったので、あまりお目にかかる機会がなかった。それでも家族が観ているテレビのCMに出ていたり、本を出版して、それが以外に評判がいい、などということは感知していた。

 これといって読みたい本がなかったので、ほとんど読んだことがない、エッセイ(語源とも言える、本家モンテーニュのエセーは、死ぬ前にもう一度読みたい本の一つだが)を読んでみようと検索したら、斎藤茂太賞なるものを取っているこの本を見つけ、若林君への親近感もあり購入した。

 読み始めてみると、これといって文学的で、特徴的な文章ではないが、引き込まれる。それはたまたま最近観たゲバラの映画のせいか、昔吸ったコイーバやロミオイジュリエタの葉巻が美味しかった事を思い出したせいなのか。

 等身大の言語と感性で表すキューバに親近感を覚えた。
「キューバ行きたい!」と、海外旅行嫌いの僕でも思った。多分、僕にも合うだろう。
 そう感じるのはひとえに若林君と僕との性格が似ているからかもしれない。それは今の自分というよりも、若い時の自分に。

 少数派のくせに繊細で、一人で立つ勇気もなく。出る杭のくせに打たれ弱くて、口が悪いのにナイーブで、それなのに多数派に賛同できず、自意識過剰でプライドが高く、協調性もない。

 というところが。さすがに今くらいの歳になると、そこまでではないですけど。そんな彼でも肌に合ったのか、キューバ、モンゴル、アイスランドで素敵な思い出を作る。その中で、仕事のこと、家族のこと、日本のことなどを自分の言葉で考えて曝け出す。それが共感を生む。その最たる者が、「解説の場を借りた個人的な手紙」と題された、DJ松永氏による若林君への熱い想いを綴った解説文だ。
 どんな人間性を持っていても、必ず一人は思いっきり共感してくれる人が、この世にいるのではないかと思ってしまう。いや、いるだろう。これがエッセイの真髄なのではないか。自分を曝け出す。そこに個性が生まれ、共感が生まれる。いいエッセイとはどれだけ作者が自分を曝け出しているか、で決まるのではないか。しかし、「世間」を注視する日本ではやりにくいか……。

 でも僕も少し曝け出したくなった。

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

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