Dialogue vol5さよなら資本主義 #1歴史篇を視聴して
昨日に引き続き、#D2021のDialogueシリーズ。これからはこのシリーズを降順で見ていこうと思う。
今回の初めは水野和夫氏による資本主義の歴史が解説された。
「石から種子へ、そしてマモンの誕生」
がサブタイトル。水野氏の西洋史の定義として、
「西洋史は蒐集(コレクティブ)の歴史」
と唱われた。何を蒐集してきたかというと、土地(農奴)、世界帝国、霊魂(信者)など。ちなみにコレクティブの第一号は、ノアの方舟のノアらしい。
それでは蒐集の目的とは何か。それは人類の救済と社会秩序の維持だという。
コレクティブとは貯蓄であり、貯蓄は救済(セーブ)してくれる。そして利息により幸福感を得て、それが社会秩序へと繋がるということらしい。
そんな資本主義の萌芽が現れてきたのは13世紀。石から種子。種子は貨幣であり、利子、利息を表している。
そして、20世紀から21世紀になると、神から貨幣はマモン(邪悪な神)となった。
余談的にゴシック建築、あの尖塔がある形式はマモンへ近づくためであり、マンハッタンのビル群もそれを象徴している。現在では東京とニューヨークが二大マモンらしい。
そんな種子である利子率は
「昨日よりも今日、今日よりも来年、生活が豊かに」なるという、資本が利子、利潤を生むというシステムへの信奉で成り立ってきたが、この21世紀の現在になり、利子率はゼロ前後になってしまった。
G5らは建国以来、1%を下回ったことがないらしい。日本に限っていえば、1970年からG5で最も低い金利で推移している。
ゼロ金利になったということは、これ以上資本を増やす必要が無い世界が到来したことを表す。生産物が飽和状態になっているということだ。それを象徴するのが、食品ロス、空き家、アパレルなどの衣食住問題。
最近よく見聞きする、
ビリオネア(2153人)の富=8.7兆ドル
世界の下位6割(46億人)の富=8.1兆ドル
という格差問題。
なぜ格差が生まれるのか。それは根本的な資本家の特性がある。
ケインズ(1930)いわく
「われわれは、少なくとも100年間、自分自身に対しても、どの人に対しても、公平なものは不正であり、不正なものは公平と偽らなければならない。なぜならば、不正なるものは有用であり、公平なものは有用でないからである」
まるでパラドックスのようだが、ケインズはイギリスの外国投資の始まりはフランシス・ドレークによる海賊行為だと書いている。つまり不正的な収奪が有用へと転嫁されたのだ。こつこつとやっていては資本家にはなれないのだ。それが脈々と現在まで続いている。
ビリオネアは生産物から得た取れ高から経費を引いた、付加価値だけではもの足らず、金融投資等で資本を増やし続いている。片や下位6割は貯蓄を切り崩しながら生きている。
ケインズはさらに言う。
「財産としての貨幣愛は、ありのままの存在として、多少いまいましい病的なものとして、また、震えおののきながら精神病の専門家に委ねられるような半ば犯罪的で、半ば病気的な性癖の一つとして、見られるようになるだろう」
以上から鑑みるとやはり、資本主義は終焉へと来ている。イコン(聖像)からコイン(硬貨)になったが、それは今、ただの石になりつつある。
それではどうすればいいのか。過去の精算をするべきだという。現在の内部留保金は475兆円。過剰な内部留保金は204.2兆円ある。再分配させるべきだろう。貧富関わらず株への投資の手数料は一律20%というのも不公平だ。所得税や法人税は下がっている。もっと巨大資本家には課税するべきなのでは。
そうするにはどうすればいいのか。それは、声を上げること。エンパワーメントしていくことだという。このブログでも以前引用した「3.5%の 法則」
ハーヴァード大学の政治学者エリカ・チェノウェスらの研究によると、「三・五%」の人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がると、社会が大きく変わるというのである。
を実行していくことだろう。
最後に出演者からの提案で「欲望の抑制」はどうすればいいのかと問われた。
12世紀までは成長がなかったので、そのような歴史を参照する。
このコロナを契機に移動を制限すろ。
これはコモンに繋がるが、地産地消する。
などの意見が出た。
欲望の抑制は人類の普遍的な課題だろう。
原初の欲望抑制システムは宗教だと思う。キリスト教においては、欲望は33%までと定められていたそうだ。しかし、その宗教も強迫的に欲望を駆り立てる資本主義に骨抜きにされつつある。
根本的に変えようとなると教育からという話になってしまうが、教育が反映されているのか、経済や時代背景のせいなのか、いわゆるZ世代なら具現化できるのではないか。
僕のような「X世代」なんかは、物欲の塊。それこそ資本主義のマモンのようなアメリカ文化に侵食され、車を持つことを目標に据えるのは当たり前のようにような世代だ。
しかし、Z世代は求めすぎず、多様性のある価値観を持ち、それをSNSで発信し拡散させる特徴を持った若者たちには欲望の抑制ができるのではないか。
僕たちは彼らにこのような問題を喚起させる役目があるのではないだろうか。
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