ありがとう チャチャ
子供の頃から犬とは縁がある。当時は今ほど周りに犬はいなかった。特に室内で飼う犬は少なかっただろう。かと言って我が家で犬を飼っていたわけではない。近所に住んでいた祖母と叔母二人の家で飼っていたのだ。今も少し珍しいペキニーズを三匹飼っていた。毛色が茶色で活発だったのが「ミミ」、黒が「クロ」、もう一匹茶色でおとなしかったのが「クー」。会いに行くのが楽しみだった。
なので物心がついたときから自分の家でも飼いたいと思っていた。そしてとうとう中学に上がった時に買ってもらったのがポメラニアン。名前は「ポニー」。しかしご多分に漏れず、面倒を見たのは最初だけ。中学生ということもあり、他にも興味があるものが溢れていたので、ポニーにベッタリとはいかないし、一番馴れるのは餌をあげている母だった。
ポニーは十歳で亡くなった。それから約十年、叔母たちの犬もみんな亡くなり、初めて犬が身近にいない生活になった。そして僕が結婚した時分に僕の友人が飼っているミニチュアダックスフンドが子供を生んだから、よかったら一匹引き取らないかという話が来た。僕たち夫妻はこれから子供を生み育てていくつもりだったので、飼えないだろうと思っていたのだが、それを聞いた母が飼いたいと言い出した。それならいいだろうと飼うことに決めた。
だがしかし!
ある日我が家の前のお宅に宅配便が来た。そしてその配達員の後を追っていくように一匹の犬がそのお宅へ入っていった。その犬はポメラニアンだった。その家の奥さんは突然迷い込んできた犬をどうすればいいのか分からず、我が家で以前同じ種類の犬を飼っていたことを思い出したらしく、うちに連れてきた。その奥さんの家では飼えないから、うちで飼ってくれないかとのこと。
「いいわよ」
母、快諾。オイオイ、待ってよ!僕の友達のミニチュアダックスフンドは!?母が抱いたそのポメラニアンは毛が所々抜けていて、背骨も曲がっているみたいだ。母に対しては大丈夫だが(母は以前から動物には好かれる)、他の人間に対しては威嚇する。もしかしたら虐待されていたのかもしれない。みんな不憫に思い母が飼うことに賛成となった。
仕方がないと言うか、半分嬉しかったのだが、友人からのミニチュアダックスフンドは僕たち夫婦で飼うこととなった。名前は「チャチャ」。母が買う予定だったので母がつけた名前だ。ちなみに迷い込んできたポメラニアンは「ポコ」。これも母が名付けた。
▲うちに来たばかりのチャチャ
▲ポコとチャチャ。ポコはうちに来て母が面倒をみたら、毛がフサフサになってきた。
▲避妊の手術をしたとき
▲お風呂が大好き
▲幼いときの娘と
▲幼いときの息子と
若い頃はよく吠えた。元来臆病なんだろうな。もっと他の人や犬と会わせたり、接触させておけばよかったのか、家族以外には慣れない子だった。だけど家族には絶対的な信頼を寄せてくれて、子どもたちが何しても怒らなかった。そうだ、僕がチャチャの大好きなササミを食べている時に、ふざけてそれを横取りしようとした時は、さすがに
怒った
それと元気な頃は毛並が良くてツヤツヤだった。
そして、病気知らずだった。だから変な話ほとんどお金がかからない子だった。
僕にとってチャチャは僕のすべてを見せた存在かな。チャチャだけにしか話さなかったこと、チャチャにしか見せなかった涙、他にもここでは言えないことなど(笑)
冗談半分に言ってたことで、
「死ぬ時はチャチャだけそばにいてほしい」
なんて言ってた。だってそんな時は多分、子供や家族は悲しい顔で僕のことをみていると思う。だけどチャチャはいつもと変わらぬ表情で見てくれてると思うから。
そんなにうまくいくはずはなく。僕がチャチャの苦しむ姿を見ることとなった。
妻は一晩寝ずに看ていた。
僕はちょうど休日。しかし午後から講習がある。
刻々とチャチャの溶体が変化していく。
何年かぶりにチャチャの声を聞いた。
「ワン」と
その後は「ワン」という声も苦しみで歪んだ。
涙が勝手に流れてくる。嗚咽してしまう。「苦しい」と言えなくとも
苦しみが嫌というほど伝わってくる。
僕が出かけなければ行けない時間が近づくにつれて、溶体が安定しているように見えた。
まるで「心配しないで。行ってらっしゃい」と伝えるかのように。
僕はチャチャにキスをして出ていった。
僕が、子どもたちが、帰るまでは逝かないでくれ。っと思っていたが、あの苦しむ様子を見たら、辛かったら遠慮なく安らいでくれと願った。
2020/11/9/15:30
チャチャ逝去
18歳の誕生日のちょうど一週間前だった。
チャチャ
ありがとう
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