見出し画像

Broken Musicと”引き受けされられるアート”——Learning From Art #004 レポート

2019年6月28日に渋谷・TURN harajukuにて、Learning From Artの第4回目ワークショップがあり、講座設計者として参加しておりました。

Learning From Art(LFA)とは「ビジネスに必要なスキルはアートが教えてくれる」をコンセプトに、絵画や造形などの創作プロセスを毎回のテーマに応じて組み合わせたワークを通して、普段の仕事にインスピレーションを得てもらうワークショップを開催している団体です。つまりワークショップでは主にビジネスマンを対象としていますが、内容として毎回アート作品を制作するプロセスが経験できること、講師の井橋亜璃紗さんが英国国立芸術大学Central Saint Martinで学んだ手法を基にカリキュラムが設計されていることで、広くアートに関心のある人びともこれまで多数参加してきました。

講師の井橋さん、そしてLFAプロデューサーの川那賀一さんとは、今年の3月に大阪大学で開催されたワークショップ”Art & Innovation”でご一緒したご縁で、僕がアミーキティア管弦楽団についてお話した時間の後に、参加者を対象としてLFAの講座を提供され、僕も一参加者としてLFAを知ったのがきっかけです。普段音楽に関わる僕が講座設計に加わるということで、音楽的な要素を入れたいということになり、井橋さんの提案で取り上げることになったのが、タイトルにもある”Broken Music”というアートでした。

Broken Musicとは

Broken Musicとは、チェコの現代アーティスト・Milan Knizakが始めたアートで、大まかにいえば、レコード盤をカットしたり、ペインティングしたり、ときにはバキバキに壊したりして「加工」したものを再生するものです。さらには回転の速度や方向を変えたりもしていて、再生すると文字通り切り貼りされた全く新しい「音楽」が流れてきます。

今回はこのKnizakが行ったBroken Musicを参加者にも体験してもらうことからスタートしました。みんな思い思いにカットアップして繋げていきます。中にはうまく中心が合わずに完成したレコード盤が回らず、作り直しということも起きました。こんな機会でもなければレコード盤を切り刻もうなどとは思わないはずで、想像以上にレコード盤が固いことにみんな苦労をしていました。ただ完成したレコード盤を聞いてみるとどれもとてもクールで、編集された作品さながらの音楽が流れたものもありました。

次のワークでは、流れてきた「音楽」を聴いた感想をマインドマップを持ちいて言語化してひとつのコンセプトを作り、それをもとにジャケットを制作する、というものです。

画像1

画像2

そして最後のワークでは、完成したレコード盤とジャケットを持って、そのレコードの制作者(アーティスト等)になったつもりで、制作の背景・エピソードや届けたい相手についてプレゼンテーションしてもらいました。

画像3

偶然をモノにする力

こうした一連のワークを通して立てている今回のテーマは「偶然をモノにする力」です。

たとえば僕たちは普段から、計画・想定・バックキャスト、このようなことを言われながら仕事をしています。これは極めて設計主義的なあり方です。そしてそうした中では「インプットを得る」ということも、本を読んだりセミナーに出たり、計画性の中で考えられることがほとんどです。

しかし、実際に現場で起こっていることはそんな単純なことばかりではないはずです。偶然目に入ったものにインスパイアされる。あるいは、全くもってイレギュラーな指示・命令・要求が降りかかる。あるいは、意図せずなぜか良い仕事ができてしまう。計画とは程遠いことがいくら起こっても、僕たちは最後には自分の仕事としてまとめ上げ、もしくは自分が行ったこととして振り返って次の仕事につなげていくことが求められています。

作品を作るということについても、同じことが言えるはずです。そして今回は、レコード盤という物体を切り貼りした結果としてそのレコード盤から流れる「音楽」、そしてその「音楽」を聴いて制作したジャケットを、自分の作品としてプレゼンテーションしてもらいました。流れてきた音楽は、もちろんその人が作ろうとしていなかったものではあっても、他の切り貼りの仕方をしていれば聞こえてこなかったであろう意味で、それはその人の作品です。それをジャケットと併せて自分の作品として、どういう人に聞いてほしい、どんな背景を背負った作品かというストーリーを載せてもらう。これは、出来上がった作品を、自分の生み出したものとしてやり切る一連のプロセスです。設計主義的に仕事をする / 作品を作るのではなく、むしろこうした偶然性・変則性に寛容であり対応できることが、いわゆる良い仕事をするためには必要なのではないか。今回のテーマ「偶然をモノにする力」にはそのような考えを込めました。

”引き受けされられるアート”

今回の講座がビジネスにヒントを与えるワークショップとして以上のようにまとめられるほかに、今回行ったことがアートの観点からいかなる意味を持ちうるのかについても、少し整理をしておきたいと思います。

そもそもBroken Musicとは、美術の持つ近代性を克服しようとするかのように1980年代以降出現した、批評家・椹木野衣によって「シミュレーショニズム」と命名されたような一連の美術的動向の中に位置づけられるアートです(厳密には椹木が言及しているのはKnizakに続くChristian Marclayですが、すでにKnizakが先鞭をつけていました)。ここでは、オリジナルなもの・真に新しいものなどない、という考えから既存の作品を盗用し(アプロプリエーション)、サンプリングして(コラージュして)、シミュレーションする、という編集のような手法が特徴的です。近代が長らく、新しいもの / 唯一のものを作ろうとしてきたその呪縛から解き放たれ、カオスの中で自由に編集して表現していくモードとして、このシミュレーショニズムが存在しているといえます。

こうしたアートでは既存の作品は素材として扱われます。そして組み合わされた後に別の文脈の中で意味を持ち、もしくは作品の一部として機能することになります。絵画が白いカンバスに描かれ、彫刻が大理石の一刀彫によって製作されるようなアートが主流だった時代と比べると、その質的変化がよく分かります(言うまでもなくそうしたアートがなくなったわけではありません)。

ところで、Milan Knizak(や他のアーティスト)がこうした作品を制作したことには、シミュレーションの要素、つまり実験的な要素がその意図にありました。つまり作品はその実験結果以外の何物でもありません。これに対して今回のワークショップでは、その「結果」に「ストーリー / 理由をつける」ことで、意味のある制作物として自身に”引き受ける”ことを求めていました。これにはBroken Musicの意義を損なう、近代主義に戻るようなものだという見解もあるかもしれません。

ですが大きな違いは、これがワークショップであり、制作者はワークショップ受講者であるということです。ここでは受講者はワークショップ設計者(つまり僕)からの働きかけを受けて、言ってみれば「盗用させられ」「サンプリングさせられ」自分の音楽を作ったことになった――つまり”引き受けさせられた”――のです。言い換えれば、そもそも制作者にとっては「オリジナルを否定する」という出発点などなく、またレコード盤の加工は参加者にとってはタスクであり、その限りでBroken Musicという行為すら素材的に取り上げられているとすら言えます。ゆえに「普段の仕事・ビジネスに応用する」ということが可能になっていたのだと言えるでしょう。

アートワークショップという「盗用」

そしてこれは、ここまで言ってしまうのは実際にやっている立場でいかがなものかとも思うのことなのですが、Broken Musicがそうであったように、巷にあるアートワークショップ一般が、有用なものを切り合わせて組み合わせられており、さらには「これこそがアートだ」と言われているその様子自体、ある種のアプロプリエーションだと言ってもいいのではないかと思います。アートが有用性や機能主義に還元されていくことの問題は、すでにたくさん指摘されています。ただ他方でそれは、アートという領分の守ろうとするジャンル志向的なモチベーションでもあり、その意味で近代主義的なものです。先行してこうした課題認識を持ち続けてきたソーシャリー・エンゲイジド・アートについては、それはもうソーシャル・プラクティスと言ったっていいじゃないかと考える人もいます。いずれにせよ、盗用され、機能主義に還元されたところで、それを文脈として持つ次のアートが生まれるまでです。僕たちとしては、そうした社会のダイナミクスを楽しんでいくことができれば良いのではないかな、と思ったりもするわけです。

今回LFAに参加させてもらったことをきっかけとして、僕なりに普段のクラシック音楽・オーケストラの枠を超えて芸術・アートについて少し考えてみる機会を得ることができました。ワークショップ自体もとても面白かったので、ぜひ関西でもやりたいと思っていますので、その時はぜひよろしくお願いいたします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?