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鬼怒川水害の2022年地裁判決について

今日は、2015年に起きた鬼怒川水害(国による正式名称は「平成27年9月関東・東北豪雨」)を巡る国家賠償訴訟の控訴審、第1回が東京高裁で行われる。

水戸地方裁判所の判決は2022年。この判決に、原告と被告の双方が控訴した。丸2年ぶりに第1回がようやく開かれることになった。

その年、「現代の理論 2022秋号」*(NPO現代の理論・社会フォーラム 編)に依頼され、「画期的な鬼怒川大水害訴訟判決 : 国の河川管理の瑕疵認定 :気候危機時代の治水行政の転機」を書いた。今日は残念ながら傍聴取材にいけないが、当時の地裁判決に関する論考から主要な部分を抜粋・改編しておきたい。(*2024秋号から「言論空間」と名称変更をするそうだ。)

「国の河川管理の瑕疵」判決

「平成27年9月関東・東北豪雨」による利根川支流・鬼怒川の氾濫被害は、国の河川管理の瑕疵によるものだとして、2022年7月22日、水戸地裁が原告の損害賠償請求を一部認める画期的な判決を下した。温暖化傾向が強まる今、この判決はどのような意味を持つのか。

1.猛暑と記録的豪雨

2022年夏の日本列島は、猛暑と水害の連続だった。(略)

2.鬼怒川大水害の実態

鬼怒川大水害国家賠償訴訟の一部勝訴判決は、そんな猛暑と降雨の最中に出た。判決等をかいつまむと次の通り。

2015年9月に発生した台風18号は、関東・東北で記録的な豪雨を降らせ、茨城県常総市を流れる鬼怒川の氾濫は、死亡(関連死を含め)15名、8540件の住宅被害をもたらした。氾濫の主な原因は2箇所。

一つは、茨城県常総市若宮戸地区(左岸25.3km付近)。ここには、上流から運ばれた土砂が長年に渡って積み上がってできた「十一面山」と呼ばれる林で覆われた河畔砂丘(以後、自然堤防)があった。2014年3月頃、太陽光発電事業者がこの自然堤防を約200mにわたって掘削。川と居住地区を隔てる人工の堤防もなく、この地点から川が溢れ、氾濫が始まった。

もう一つは、常総市上三坂地区(左岸21.0km付近)での堤防決壊だ。決壊区間で水位が堤防高を上回って越水。当初約20mの決壊幅は、時刻経過と共に約200m幅に拡大した。

氾濫水は、若宮戸と上三坂の2地区から、鬼怒川と隣の支流・小貝川に挟まれた低地(水海道地区)へ向かって広がり、常総市全域の3分の1に相当する約40km2が浸水した

3.判断が分かれた判決

国は、氾濫の事実は認めたが、責任は認めなかった。

① 若宮戸に関する争点と判決

 原告は、自然堤防が堤防の役割を果たしていたのに、国が河川管理者としてその開発を制限する河川区域に指定することを怠ったと主張。
 しかし、国は、提訴前は自らの資料に「自然堤防」と記していたにも関わらず、それが「堤防」機能を果たしていたことさえ否定する一方、堤防が未整備なのは、「改修の遅れ」のせいに過ぎないと主張した。
 裁判所は、原告の主張を認めた。

② 上三坂に関する争点と判決

 原告は、決壊した堤防が低かったことを測量で国が知っていたことを突き止め、優先して堤防整備をしなかったことは河川管理の瑕疵だとした。
 しかし、国は、治水事業には予算や用地買収など制約があり、改修が遅れても、格別に不合理な点がなければ行政の責任は問わないという過去の判例と同様の主張を展開した。
 裁判所は、国の主張を認めた。

③ 水海道住民への損害賠償責任

 裁判所は、河川管理の瑕疵を認めた若宮戸地区に居住する原告9人に対する約4000万円の損害賠償の支払いを国に命じた。一方、上三坂や水海道に居住する原告の訴えを退けた。
 8月4日、原告・被告ともに判決を不服として控訴した。

4.低い堤防の整備後回しは「不合理ではない」のか?

原告側弁護団の只野靖事務局長は若宮戸の判決について、「水害訴訟では国の河川管理の瑕疵は認められてこなかった中、画期的。近年、日本では水害が毎年起きているが、河川管理の瑕疵で起きる水害もあるとの視点で点検が必要だ」と意義を語る。

一方、上三坂については、「堤防整備の順番について、低い方を優先すべきだと私たちは主張したが、国は幅が狭い方を優先するとし、裁判所はその考えも格別に不合理ではないと判断した」(只野弁護士)と敗因を語る。

しかし、原告側が利根川水系で決壊した32箇所を調べると、28箇所(87.5%)が堤防の低いところからの決壊で、堤防幅が関係して決壊したのはたった1箇所(3.1%)だった。

原告団共同代表の片倉一美さんは「判決は9割の事実を無視した不当判決です。若宮戸における国の責任は一目瞭然だったが、上三坂では判例通りで、国の肩を持つ司法の姿勢は基本的に変わらなかった」と憤る。

また、水海道については、「水海道の氾濫水は、若宮戸からも上三坂からも流入したので、若宮戸の国の責任を認めたなら、氾濫による損害分を認めるべきだが、全否定した」(只野弁護士)として、水海道の原告ら約20名が控訴した背景を語った。

5.「改修遅れ」は言い訳にならない温暖化時代

今、原告の片倉さんは、提訴のきっかけの一つをこう語る。

「水害発生後に衆議院の議員会館で行われた被害者と政府とのやり取りで、国土交通省が『河川法に基づき対処している、国に責任は無い』と繰り返すのを見て、国民の生命と財産を守る事を真剣に考えていないと感じた」

そして「国は平気で嘘をつく、と思った」と裁判から控訴に至るまでの実感を述べる。

「堤防整備の計画が『改修事業』に記載がないと原告が指摘すると、国は『(それは)改修計画ではない』と言ったにもかかわらず、後に記載を見つけて『あるから改修遅れだ』と主張が変わった。一貫性がない。こんな人たちに河川管理は任せられない」(片倉さん)

国土交通省が責任逃れの盾にしたと言う「河川法」は、1997年改正で、住民参加が盛り込まれた。河川法史上初だった。旧河川法では、水系ごとに審議会だけの意見を聞いて国が「工事実施基本計画」を作っていた。改正で、20〜30年の具体的な計画である「河川整備計画」で住民意見を反映する措置を取るとした。

ところが、利根川水系では「改修遅れ」どころか、改正法による住民参加を伴う河川整備計画作り自体が遅れた。支流・鬼怒川では、法改正から18年が経っていた水害当時も不作為が続いていた。改正前の1995年に国が決めた「利根川水系工事実施基本計画」を「みなし河川整備計画」として使っていたのだ。

改正前年の1996年には、河川審議会(当時)が答申「社会経済の変化を踏まえた今後の河川制度のあり方について」で、「河川周辺の樹林(河畔林、湖畔林)の整備・保全」について、「かつて水害防止のために重要な役割を担っていた河畔林が、近年、都市化の進展等の社会経済の変化に伴い、次第に失われつつある。しかし、こうした堤内の河畔林は、堤体が破堤した場合又は堤体から越水した場合に氾濫水の流出を低減する治水機能があり、これを整備又は保全することが治水対策として大きな役割を担う」と提言した。

また、改正を受けた1999年の審議会報告書「生活・文化を含めた河川伝統の継承と発展」で「河川法改正において、河畔林を河川管理施設として位置づけることが可能となった」と報告されていた通り、林に覆われた自然堤防は河川管理施設として位置付けるべきだった。

それを放置した若宮戸の河川管理の瑕疵は、高裁でも判決が覆ることはあるまい。また、住民参加で鬼怒川の河川整備計画を策定していたら、上三坂の堤防整備の順番はどうなっていただろうか。下流の水海道住民は、自分たちが負わされる水害リスクを知りうる端緒となったのではないか。

「改修するつもりだったが遅れていた」で言い逃れができる時代は過ぎた。

水害が頻発する温暖化時代を迎えた今、河川整備計画作りの中心に流域住民を位置付け、水害リスクを減らす機会にしなければならない。

そして司法も、いざ被害が出ると、堤防整備の順番待ちだと後付けの言い訳をする河川管理者を許してはならない。

【タイトル写真】

茨城県常総市で、2015年9月筆者撮影

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