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波照間島幻想

古東哲明さんの「瞬間を生きる哲学」(筑摩書房)という本の冒頭で紹介されてるエピソードがおもしろい。以下全文引用です。しかも写真も波照間島公式ホームページからのパクリ。
(南の国へ旅したことのある人間は誰でも感じることなのかもしれない)

なにもかもいやになり、八重山諸島をさまよっていたことがある。沖縄がまだ日本のなかの異国だったころ。反戦活動に疲れはて、パインやサトウキビ工場で働いては、あてもなく、南海の島々をプラプラ渡り歩いていた。
そんなある日の午後。日本最南端の波照間島に行ったときのことである。
毎日、海を眺めてばかりいる少年と出会った。
聴けば、ほとんど学校に行ってないという。砂浜に座し、太陽のひかりを体いっぱいに浴びながら、あるときは泳ぎ、あきれば沖合に舟を漕ぎ出し漁をして、一日をのんびり過ごしているのだという。目もとが、とても涼しい少年だった。
ちょっと気になり、「なぜ学校へ行かないんだ」と、兄貴づらしてたずねてみた。
すると、「どうして学校へいかなきゃならないんですか?」と、聞き返してきた。
「勉強し、知識を修得し、立派な大学に入るためさ」と、とおりいっぺんの答え(学歴社会で「幸福のパスポート」という)をすると、間髪をいれず問い返してきた。
「知識を修得し、立派な大学に入ると、どうなるんですか?」
ウッと詰まりながらも、「望みの優良な職場で働けるようになり、そうすれば高給をえて快適な家も買え、幸せに暮らせるようになるさ」と答えると、
「で、それから?」と、さらに問い詰めてくる。
「それから……、それから常夏の南国にでもいって、毎日のんびり、好きなことして暮らせるようになるさ」。そう、窮しながら答えると、少年は高笑い。
「そんなことなら、もう毎日、ぼくが今ここでやっていることじゃないですか。」
まるでジョークのような話だが、ぼくには全存在を否定されるほどの衝撃だった。

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