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プロフェッショナリティに萌えるのは、そこにコンプレックスが見え隠れするから

かつて書籍の編集を仕事にしていたときに、一緒に働いていた人から言われた忘れられない一言がある。

「プロになるということは、その分野に強烈なコンプレックスを抱いているということとある種、同義なんだ」

それまではプロフェッショナルというと、ある分野に対する知識と自信に溢れていて、どんなことを質問しても的を射た答えを返してくれる人、というイメージがあった。自分とは違う世界に住んでいる人、という感覚も強かった。しかしこの一言によってそうしたイメージはがらりと書き換えられた。

ダイエットに成功して本を書くに至った人は、自分の体型にコンプレックスを抱いていた過去を持つ。
コミュニケーションの本を書いている著者は、コミュニケーションに困り、考え抜いた経験を持っている人だ。
小説やエッセイなど、書くことそのものを生業としている人は、常に表現と対峙している。

そんなことを考えながら近くで著者の執筆活動に伴走していると、あることに気づいた。特定の分野に向き合い続けることで何か大きな沼に飲み込まれていってしまうような、そんなあやうさが見え隠れしているのだ。
かつて抱えていたコンプレックスをうまく消化できていればいいのだけれど、人間そんなに高性能にはできていない。努力すればするほど、現状に満足できなくなるという循環に陥っている人も少なからず見受けられた。でも、強く感じたのは人間に対する愛しさだった。そういうもどかしさみたいなところも全部含めて、愛しいと感じた。

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「プロ」というには程遠かったとしても、私にも大人になってから習得したいろんなスキルがある。仕事の話を脇におけば、例えば部屋の片付けとか、ワンオペ育児のストレスを最低限に抑える方法とか。

振り返ればその分野に長年コンプレックスを持っていたなぁと気づかされる。我が家は母が超忙しく(フルタイムワンオペ育児)、彼女は片付けも苦手だったため部屋の中はいつも散らかっていて、人が来るときだけ掃除する、というパターンだった。
「家にいる時間が長いから」という理由で片付けは子供達に任されていたけれど、正直なところモノが多くて何をどう片付けたらいいかわからず、図書館で主婦向け雑誌を借りてきて収納について子供ながらに考えたりしていた。

それでも小学生のとき、突然家に押しかけてきた同級生を追い返せずにしぶしぶ家に入れたら、「きったない家!」と言われてすごくショックを受けたのが今でも忘れられない。
時々アポなしで訪ねてきて家の中をチェックしようとする祖母を、玄関先で必死で食い止めた記憶も苦々しく残っている。

それが影響しているかはわからないが、いつからか私の中での住環境に対するテーマは「いつでも人を呼べる家」になった。出産してからは特にそれを意識するようになり、片付けの講習会に出たり、本を読んだり……何度かの大規模な断捨離や何十回ものミニマムアップデートを経て、今は家で過ごす時間が一番心地よい。もちろんインスタや雑誌などで見る「シンプルなくらし」とまではいかないけれど、自分で納得して購入したモノを、自分で管理できているという安心感がある。
息子はモノに住所があることを当然だと思っているので、何か思いつくと「いつもの場所」に取りに行き、自然にそこに戻す。いつでも友達を呼んでいいと思っているので、「遊びにきてよ!」といろんな人を誘っている。そんな息子をみていると、ほっとする。かつての自分が癒されていくように感じているのかもしれない。

書いていて気づいたが、ワンオペ育児の効率化についても同じことが言える。前述の通り母は忙しい人で帰宅が21時を回ることもしばしばあり、私と妹は週の半分くらいを近所の祖母の家で過ごした。働きに出る母を祖母は良く思っておらず、いつも祖母と母の板挟みにされていると感じていた。念のため言っておくけど、私は祖母も母も大好きだったし、今も愛している。だからこそ支え合って仲良くして欲しかった。毎日仏壇に手を合わせながら「今日はみんなが笑って過ごせるように、誰かが誰かに怒らないようにしてください」と祖父の遺影に祈っていた。

ワンオペ育児のつらいところの一つは、それそのもののしんどさだけではなく、せわしなさによって余裕を無くした大人たちが、大人同士でいがみ合ったり、文句を言い合ったりするところだと思う。子育てを押し付け合ったり、トラブルが起きた時にその場にいない人の責任にしたり。子供にはバレていないと思っているかもしれないけど、全部伝わっている。そういうのが嫌で嫌でたまらなかった。

だからこそ、自分はそんな大人にはなるまいと固く誓った。いろんな経緯があって今はシングルで息子を育てているのだが、仕事とのバランスをとるためにいろんなパターンにトライし、ストレスを感じる箇所の改善を重ねてきた結果、今のところワンオペ育児で悩むことはそんなにない。息子も4歳半になり、唯一の悩みだった偏食もかなり改善され、身の回りのこともできるようになって本当に楽させてもらっている。

こういう話をすると周囲のママたちからは「すごいね」「えらいね」と言われて照れくさいのだが、それは私がその分野に優先的にリソースを割き続けてきたからにすぎない。その理由は、そこにコンプレックスがあったからだ。

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コンプレックスを自覚し、それを自分なりに乗りこなすことで新しい価値観を得ていくプロセスは、自分にしかわからない。周囲からみたら「意識が高い人」とか「なんか頑張ってる人」に見えるのかもしれないけど、本人は必死だ。その先にあるものを見に行きたいという願いに気づいてしまったら、気づく前には戻れない。

だから、今日も私は本を読みながら、著者の葛藤に想いを馳せる。プロと呼ばれる人たちと仕事すると、彼らの陰の努力を感じてたまらない気持ちになる。

人間の愛しさともどかしさを、今日も愛そう。


Photo by Christian Mackie on Unsplash

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