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姫騎士エリザベート 王宮への道

01 南下


 オークとのいざこざで意気消沈した姫騎士エリザベートだったが、ひとたび馬上の人となり青空の下を進んでいくと、そんなことは一時の痛みにすぎなかったのだと思えてきた。彼女は幼い頃から痛みを堪え、時に忘れるように訓練を受けてきた。その痛みのうちには身体の痛みもあれば、心の痛みもある。痛みに我を忘れるのではなく、傷んだ身体でもできる一太刀で敵を倒すこと。彼女はまこと騎士のひとりであったのだ。
 二日の間、雪のなかを歩いた後は、黒々とした地面の道が続いていた。彼女の行先である王都は南にある。
「すまぬが、ここからは急ぐぞ。鞭を受けたくなければ力の限り駆けるがいい」
 白馬の腹に鐙を当て、エリザベートは道を急ぐ。王都へ、王都へと。そこには彼女の誕生の、また姫騎士の歴史の謎が待っている。


02 処刑


 後をつけられている――エリザベートが気づいたのは、王都のある未舗装の旧街道から土瀝青《どれきせい》が敷かれた新街道に変わる直前だった。蹄鉄に護謨《ごむ》の馬靴を嵌めるとき、姫騎士は追ってくる者がいる方向を一瞥する。地平線に近いところにある黒い点が追手だった。姫騎士の視力をもってしても、かろうじて馬に乗っていることがわかるだけだ。全速で駆けさせてもついてこれたところをみると、向こうの馬もかなりの名馬ではある。
 一度は止まった追跡者の馬が再び進み始めた。ゆっくりと近づいてくる。そして、姫騎士の目は馬上の者の姿をとらえた。耳が長い。エルフだ。筋骨は逞しく美しい。その顔には見覚えがあった。エリザベートを犯した元オークである。魔王軍の黒いコートを身にまとっていた。
 エリザベートは向こうがやってくるのを待ち構えたが、ほどなく心のなかに迫ってくる相手に対する憎しみの炎がかっと燃え上がり、思わず馬の腹を鐙《あぶみ》でを軽く蹴ってしまった。白馬はゆっくりと歩き始め、続いて騎乗者の心を察して駆け出していく。
 あっという間に近づき、エルフの姿は大きくなる。そしてエリザベートの怒りはさらに燃え上がり、ついにレイピアの柄に手をかけてしまった。エルフはとうにエリザベートに気づいている。しかし、何も行動を起こさない。
 そして、二人は馬上で対峙した。レイピアを抜けば切っ先がエルフの喉元を切り裂く距離である。
「魔界の者よ、私に何か用か」
 姫騎士が問う。怒りを押し殺しているので仮面のように無表情だった。しかし、忍耐力が尽きれば、その瞬間に豹変するだろうという緊張感を秘めた無表情である。
「お前を殺せと命じられてきた。王家の『獣化の秘術』を破られたのは私が予想した以上の不首尾だったらしい。階級は剥奪され、いまや随行者もない。お前が魔族と呼ぶ者たちのひとりとして私はこの戦争に勝利するが、おそらくこれで終わりだろう。武芸には自信があったが、オークを殺せるお前に勝てる気はさすがにしない」
 エルフは言った。
「では、これは体のいい口封じというわけか。しかし、それならば随行者はおらずとも、監視の者がどこかにおろう。お前はひとりぼっちではないぞ」
 エリザベートは皮肉を言う。決死隊が敵前逃亡しないように見張る役はどこの軍でも立てるものだ。戦争とは非情なものなのである。
「それが昨夜からひとりっきりなのだ。お前には勝ち目がない私だが、凡百の兵に遅れはとらなかった」
 涼しい顔でエルフは言う。
「味方殺しをしたというのか!!」
「もう味方ではなかった。殺し屋を仕留めただけだ。自由になるために。これでお前が見逃してくれたら俺は戦勝国の国民のひとりとして生き延びることができる。当面の潜伏先はお前たちの王都であるキオータだ」
「私の目的地と同じ……。しかし、許せると思うか? お前は私の大切なものを奪い、私の心を傷つけた」
「……醜い命乞いだったな。くっ、殺せ!」
 エルフはうなだれる。
「その罪、血をもって贖《あがな》っていただく!」
 エリザベートはレイピアを一閃させた。
 エルフの悲鳴が街道にこだまする。彼の手は真っ赤に染まった。
「ああ、なんてことを、なんてことをしてくれたのだ…」
 一太刀とか見えなかったのに、エルフの象徴である両耳が削がれていた。人の耳たぶと同じ分量しか残されていない。
「これで許そうというのだ。私もお前の大切なものを奪い、心を潰してやった。そして、お前が私の生命を奪わなかったように、私もお前の生命を奪わないでおいたのだ」
 エリザベートは言う。
「こ、殺してくれ。耳を失って、誇りを失って生きていくなど……」
 エルフは言った。魔族の伝統として、エルフの耳は生命と同等であるとされている。戦場で耳を失えば、手足や目を失った以上の補償を受ける。また、死刑に準ずる刑罰として耳削ぎがある。耳を削がれたものの多くは後に自死する。長く伸びた耳はエルフの誇りなのである。それをエリザベートは斬って捨てたのだ。
「お前が罰として私の処女を奪ったように、私はいま、お前の耳を奪ってやった。苦しみ抜いて生きよ。それこそお前にふさわしい」
 そう言い捨てると、姫騎士エリザベートは馬の手綱をひいてきびすを返し、馬を王都キオータへ向けて走らせはじめた。
「待て、姫騎士。これですべてが終わったなどとは思わぬことだ。待て、待っ……」
 いまだ出血が止まらぬ耳を押さえながらエルフは言い、エリザベートの後を追った。


03 野火


 耳朶から血を流し、殺せだの殺すだのと喚き続けるエルフを振り切り、姫騎士エリザベートの乗った白馬は新街道をひた走る。落葉した楓の林が見せる魔女の指の骨を思わせる姿、樅の木の森の影が作り出す神々しい陰影。時を知らず生えているたんぽぽの緑の葉と黄色い花。次々と移り変わる景色に姫騎士は心癒されていく。多数の敵を同時に補足し同時に撃破する能力を持つ姫騎士の脳は情報処理能力に優れているがゆえにスピードと変化、同時進行を愛するのだ。
 何度か馬を休めながら走り、そして、夕方、小さな村の入り口にたどり着いた。振り返って追手がいないことを確かめる。目を落とすと馬の背や尻に噴き出した汗が白い湯気となって空に吸い込まれていくのが見えた。馬車の車輪が軽快にまわることに主眼をおいた土瀝青《どれきせい》敷きの道を全力で駆けたのだ。馬は息があがっているだけではない。靴を履いていても膝に大きな負担がかかっているはずだ。背中や尻の肉も時々震えていた。
「よく、がんばってくれたな。今日はここまでにしよう」
 馬の首を撫でながら姫騎士は言う。
 夕日が落ちていく。村でのなかでたくさんの煙があがっているのがみえた。地面に敷いた落ち葉や枯れ草を燃やしているのである。すぐに日が落ち、闇が広がるなかで燃え上がる野火は、鬼火のようにも見えた。
 風向きが変わり、煙がエリザベートのほうに流れてきた。その匂いを彼女は知っていた。戦場で嗅いだことがある。人の身体が焼ける匂いだ。その嫌な匂いとともに、ひそひそと話す声も聞こえてきた。男の声、女の声。老いた声に若い声。この村の住人たちか。
「肉じゃ、肉じゃ」
「肉が来た」
「白い馬と女だ」
「馬の肉はうまいぞ」
「女の肉も美味しいわ」
「私よりおっきなおっぱい」
「妬くな妬くな。喰うたらええんじゃ。お前の乳も大きゅうなるやもしれん」
「いまさらよ」
「殺す前にやりたいな」
「わたしがいながら何を!」
「お前とはもうやれん」
「やるのは馬とか?」
「ははは、女も馬もじゃ」
 乾いた笑いがあたりに響く。戦場らしい下卑た冗談を聞いて、エリザベートは国境の街アウラで聞いたオークたちの会話を思い出した。ひとたび戦が起きれば人も魔獣も同じく穢らわしいことを口にし、悪鬼の所業を実行する。いままで運がよかっただけで、自分も人の肉を喰らってでも生き延びねばならぬ日が来るやもしれぬ、とエリザベートは思う。戦場とはそういう場所なのだ。そのとき、下衆な笑い声が不意に消えた。
「お主は我が娘、エリザベート。エリザベート・ルーセではないか」
 聞き覚えのある声。誰だったかエリザベートは思い出せない。
「育ての親の声を忘れたか。親不孝者め!!」
「馬鹿な! だいいち声が違う!」
 エリザベートは思わず返事をしてしまう。地獄から蘇ってきた亡者。彼女を育ててくれた騎士を騙るものに。
「エリザベート・ルーセ、罪を償え。ここで、いますぐに!」
 暗がりから襤褸をまとった人影が次々と立ち上がる。ここは食人鬼の集落であった。
「行こう。こんな場所で眠るわけにはいかない」
 愛馬に声をかけ、エリザベートは静かに馬を歩かせ始める。追ってくる無数の影たちの脚は遅く、追いつかれる様子はない。しかし、エリザベートはいつか「死」が彼女の足首を掴み、汚穢と混沌の世界に連れていくのを容易く想像できた。
 結局、エリザベートはその夜じゅう馬を進ませ、昇る朝日の草原でやっと馬とともにまどろんだ。あたりにはもう暗い影はひとつもなかった。


04 売買


 敗走する王族軍の列は街道を進むうちに人数が減り、やがて散りぢりになって消えていく。故郷へ帰ることができた者もいれば、途中の土地で暮らすことを思い立った者もいる。なかには追い剥ぎに成り下がる者もいる。
 どう落ち着いていくにせよ、もう戦争などまっぴらだし、もう兵隊なんぞにはなりたくもないという思いは同じだった。敗軍の兵には褒美が出ない。戦争に行った恩給やら補償やらは期待はできそうになかった。此度の戦で負けたことで王家が滅びるかもしれない。そうなれば、すべてはご破産。共和制になれば、いままで地下に潜っていた輩どもが顎髭をなぜながら現れ、官庁の長の座席やら町の利権やらを総ざらいしてしまうだろう。王国軍に所属していただけで裁かれる日が来ないとも限らない。だから、王国の軍列はいつのまにか消えるのだ。
 そして、街道沿いの町々は講和の知らせが先に来るか、それとも魔族どもが町を荒らしに来るのが先かと戦々恐々、息を殺して日々を過ごしていた。
 こんな情勢のなか、立ち寄る町や村で必要な物資をほそぼそと買いながら早駆けを続けたエリザベートだったが、王都キオータの目と鼻の先、タレクの町で金子《きんす》が尽き、用意してきた糧食もなくなった。
 町の城壁のすぐ外側、寒風に耐えながらエリザベートは腹を押さえる。空腹で腰回りがいちだんと細くなった気がする。
「しかし、いまの私には売るものがない……」
 呟いたとき、幼い頃から言われていることばがエリザベートの脳裏を掠めた――亡国の危機があらば、たとえ、その身を売って旅してでも王宮へ帰参せよ――と。それは姫騎士の気概について述べたものであると同時に、基本的な命令のひとつでもあった。
「身売りか…」
 陰鬱さをあらわした口調でつぶやくエリザベートに白馬が嘶きで答えを告げた。
「シュメル……」
 とエリザベートは馬の名を、いつも白馬を買うたびにつける同じ名を呼んだ。今まで何頭ものシュメルを乗りつぶし、また乗り換えてきた。今回は悪くない別れ方だとは言える。エリザベートは白馬を売りに出すことにした。戦向きの白馬はこんな世には高く売れる。そしてタレクからキオータまでなら歩いていけない距離ではない。
 エリザベートは馬を引き門をぐぐって市中に入る。
 町のひとに市場の場所を教えてもらい、さっそく馬を売り払おうとした。
 しかし、市場の馬喰《ばくろう》は怪訝な顔をする。
「違っていたら許してほしい。あんたみたところ姫騎士さんみたいだが」
 馬喰からも蔑視されているのが姫騎士である。
「いかにも、私は姫騎士です」
「やはり、そうかね。いま、軍馬に売買制限がかかっているのはご存知かね。上席の騎士様にこの馬を売っていいって言われたのなら、売買許可証明書をつけてほしい」
 馬喰は言う。姫騎士は正規の軍属としては認められていないが、ともに行軍する。軍の装備を窃盗し、売ろうとする姫騎士がいないとは限らない。それゆえ戦争末期には規制がかかるようになっていた。
「私はいま単独行中です。上席の者がいないのです」
「ほお。じゃあ、その馬は買えないなあ」
 馬喰は言う。しかし、エリザベートの顔を見たままだ。次に姫騎士が何か言ってくることを知っているのだ。
 買い叩く気だとエリザベートにはわかったが、背に腹は代えられない。姫騎士といえど食わねば死ぬのだ。
「そこをなんとかお願いしたい。安くてもいいのです」
 そう言わざるを得なかった。
「そうかい。販売条件として、今晩、俺の家に来てくれ。姫騎士さんはスゴイって言うからなあ。試させてくれよ」
 馬喰は発情した牡馬のように歯をむき出しにして言った。口の端から唾が垂れている。いまにも服の上から自分の股間をいじりはじめるのではないかという雰囲気だ。
 面倒なことになったなとエリザベートは思う。こういうとき説明するのには時間がかかるし、相手を怒らせてしまうことも多い。攻撃目標にしやすいのか、本当に阿呆なやつはエリザベートの胸をいきなり触ろうとしてきたりもする。彼女がへし折ってやった腕の数は片手ではきかない。何にせよ、色欲で曇った目をした男たちとの取引はうまくいかないのが最大の問題だ。この男との取引はあきらめ、ほかの馬喰を探すかと姫騎士が思いかけた頃、彼女の背後から聞き馴染みのある声がした。
「わがレラード家の姫騎士が何かご迷惑をおかけしておりますかな」
 エリザベートが振り向くと王国軍の騎士の具足をつけ、顔のまわりにぐるりと包帯を巻いた男がいた。オークの姿でエリザベートに狼藉を働き、彼女が耳を削いでやったエルフである。長い耳がないゆえ見事に人族に化けられている。
「私は騎士のアドルフ・レラード。戦場で頭に傷を負いました。その治療費のため馬を売ろうとこの姫騎士を遣いにやったのです。しかし、エリザベート、こんな簡単な売り買いもできぬとは、まだまだ未熟だな。ほれ、忘れ物だ」
 アドルフ・レラードと名乗った耳なしエルフはエリザベートに馬の売買許可証明書を渡した。
「こ、これでいいのでしょうか?」
 エリザベートは言い、馬喰に許可書を渡す。
「これで問題なしでさあ。レラードさま、これを」
 馬喰は白馬の代金をアドルフに渡そうとする。
「いやいや。これも修行のひとつだ。なにとぞその姫騎士に渡してほしい。今日は遣いにやらせたのだから」
 とアドルフ。
 馬喰は姫騎士の手に金貨を載せた。以前、売っていた代金よりも少しばかり高く売れていた。これが姫騎士と騎士の格の違いかとエリザベートは思う。たとえ偽騎士でも商人が畏れてくれる。
「さあ、馬を売ったら、さっさと宿へ帰るぞ。ここより先は徒歩《かち》にて参る」
 勢いよく言うアドルフ。大勢の人がいる場所で騒ぎを起こすこともないとエリザベートは彼に従って後を追う。
 ひとけのない所に行けば、斬り合いとなるだろう。エリザベートは腰に帯びたレイピアの鯉口を切る。

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