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それは、素敵な五角形の物語

綾部さんがシナリオを手掛けられた朗読劇、『作るカノジョと僕らのテ』を観劇させていただく。

朗読劇を体験するのは今回が初めてだったが、演劇のお芝居が醸し出す高圧力高濃度なエネルギーに比べ、聴かせることを軸とすることによる観客のイメージ増幅自由度が非常に高く、個人的に終始居心地が良かった。四人のまだ何者でもない男性と、一人の女性がシェアハウスを舞台に描き出す、恋愛と友情のイニシエーション。その物語の、六人目の登場人物になりたい。そう思えるナチュラルさがあった。

舞台を彩るプロジェクションの映像は、劇中に流れる四季を感じさせるには十分。リモートでの観劇だったので、リアルな観客席からだと床の映像があまり見ていないのかな……と思いきや、よく見るとステージが奥から手前へスロープ状になっていてなるほど、と。

演者さんが持っているシナリオの背表紙には登場人物の個性がアイコニックにプリントされていて、キャラクター把握も容易。このあたりのUIの工夫は、ゲームに通ずるなあと思ったり。

カメラマン志望のナイコン、音楽家志望のファズ、映像作家志望のオズ、そして、画家志望のゴッホ。クリエイター志望の彼らは、自分達に足りないのはニトロだ、と話す。創作のモチベーションであり、イマジネーションの源泉となるニトロが足りない、と。そしてハルミは、そのニトロとして現れる。そこから四角形だった関係は五角形になり、物語が軽妙に動き出す。

物語のシンボルであるゴッホは、序盤にシェアハウスの管理人として訪れたハルミと出会うが、海辺でお気に入りのハンチングを失う。大切なものと出会い、大事なものを失った、と彼は言う。誰しも若いころは、大人になる、ということは何かを失っていくことでもある、そう思うことがある。しかし終盤、そのハンチングはゴッホのもとに戻ってくるのだ。大人になるということは、失ったものを取り戻せるということなんだ。大人になった僕はそう思った。

『作るカノジョと僕らのテ』という、どこか示唆的なタイトル。カノジョはパンを焼き、彼らのテは、キャンバスに、フィルムに、楽譜に思いを焼き付け、最終的には一見成功したようだ。今後もそのテで、どんな作品を生み出していくのだろうか。しかしどうなろうとも、彼らと彼女の五角形は、付かず離れず、きっとバランスを保ちながらずっと続いていくに違いない。

そんな、『作るテと僕らのカノジョ』の物語を想像し、ひとりにニヤけてしまうのだった。

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