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ボクはたぶん大人になれた?

『ボクたちはみんな大人になれなかった』

ゼロ年代は何もない時代と言われるが、こうして振り返ると、ファッション、音楽、映画、アニメ、街と、90年代は、(サブ)カルチャーとしてとても豊かな時代だったなと断言できる。
スマホもSNSもなかったけれど。なかったがゆえに、か。

上京してからアスキーを辞めるまでは新宿、SMEで最初の『天誅』を作ったときの職場が渋谷だったので、当時の風景とともに、がむしゃらに、そしてなんの迷いもなく働いていた毎日を思い出し、あの主人公に比べてどれだけ自分は幸せだったのか、と思いながら観た。

自分は何者かになれると思いながら、現実と対峙するなかで、自分は何物にもなれない、と気付いていく緩やかな絶望。
そして、どこかでそれに身を委ねてしまう、ある種の自傷行為。
すごい才能を近くで目の当たりにしたりすると、誰しもその地獄に陥ることがある。
この作品は、原作者燃え殻氏の自叙伝とも言えるが、作者はこの作品を書き上げることによりイニシエーションを果たすわけで、地獄の渦中にいる人にとってはその事実含め、これはたまらん映画なんだろうなと思う。

『全裸監督』しかり、Netflixの日本の映画・ドラマは、年代固有の突き刺し要素が入ることが多いが、今作で言えばキーアイテムとして使われる「犬は吠えるがキャラバンは進む」は今でもよく聴くアルバムなので、なんというかこういう場合ってノスタルジーを刺激“されない”という謎の現象が起こる。自分の想い出が上書きされていっているために、過去と紐づく力が弱まるというか。
逆に、だからこそ「彗星」の歌詞が響くということも起こるのですが。

森山未來氏が21歳から46歳までを演じ分けているが、あれは、『アイリッシュマン』でデ・ニーロやアル・パチーノが若返った手法と同じレタッチ技術を使ってるんだよね? さすがに肌の感じとかメイクでごまかせるレベルじゃないと思いながら、だとしても、ちゃんと「若い」のは、演技力あっての賜物。やはり役者としてすごいぜ森山未來。

伊藤沙莉演じる、サブカルこじらせ女子の主人公の彼女が、好きなアニメとして「ビューティフルドリーマー」を挙げる。あれって80年代のアニメでは? と思ったが、タイトルをラストで表示するという分かりやすい共通項を見て、なるほど、そこかと。
あと、後半のシーン以降、ずっとオズワルドのお兄さんのことが気になりました。

鑑賞者の年代によって、刺さるか、全く刺さらないかパッキリ別れる映画。もの凄く傲慢な書き方をすると、僕になれなかった人の映画として、どこか懐かしく、そして、上から目線で楽しめた自分を褒めてあげたくなる映画でもあった。

あと、どうしても気になったのが、ゴミ捨て場にすッ転ぶシーンのゴミ袋。
シーンと台詞の意味性として、あれはもっとリアリティあるゴミにしなきゃダメだよと思った。
渋谷には、紙屑だけが入ったキレイなゴミ袋なんて、ない。

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