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DFFT :データ覇権に対抗する日本のデジタル大戦略の全貌(1)地政学的意義

安倍晋三首相は、2019年1月にスイス・ジュネーブで開催された世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で、信頼性ある自由なデータ流通(Data Free Flow with Trust:以下「DFTT」)という概念を提唱しました。安倍首相は、同年6月に大阪で開催されたG20首脳会議(サミット)にて、「このサミットを世界的なデータガバナンスが始まった機会として、長く記憶される場にしたい」と発言しています。

DFFTは、”Data Free Flow”- すなわち自由で開かれたデータの流通と、"with Trust" -すなわちデータの安心・安全を実現しようとする世界規模のイニシアチブで、今後のデジタル社会で競争力の源泉となるデータを特定の主体が抱え込むのではなく、プライバシーやセキュリティ、知的財産などの安全を確保した形で、原則として自由な流通を確保していくことが重要であるとの日本政府の考えを背景としています。これはもちろん、日本が次世代の社会・産業戦略として掲げている、サイバー・フィジカル両空間の一体運用を通じて新たな価値を創出したり、社会的課題を解決したりしていくことを目指すSociety5.0をグローバルなレベルで実現するためには、データに対する基本的な価値観を各国で共有することが必要であるという政府の戦略的なイニシアチブということになります。

日本のデジタル市場競争戦略については、現在、僕も専門委員として参加しているデジタル市場競争会議で議論をしており、まだ非公開の内容も多いため、ここでは触れることができません。デジタル市場競争会議は、競争戦略という観点から整理されたものですが、ここではより広く、今後日本がデータ分野で世界に伍していくために、制度がどのように変わっていかなければならないのかということを、デジタルプラットフォームへの規制体系のあり方にフォーカスして整理してみたいと思います。

データ覇権に対抗するDFFTという大戦略

まず最初に、DFFTが世界のデータ覇権の試みに対する日本の大戦略の根幹であるということについて説明したいと思います。

デジタル経済課税をめぐるOECD諸国におけるすったもんだのやり取りを挙げるまでもなく、新たな、しかも21世紀の石油とまで言われるデータを誰が支配するのかをめぐって、GAFAをはじめとするBigTechと呼ばれる超国家的なグローバル企業、民間部門を支配下に置いて世界への勢力拡大を図るデジタル社会主義国家、人権なかんずくプライバシー権を覇権戦略の中心に置いてデジタル社会における世界的ルールの確立を目指す欧州連合が、それぞれ覇を競っています。

超大国であるものの孤立主義的な立場を強める日本の唯一の同盟国である米国と、覇権国家としての後を襲う意欲を隠さない中国に挟まれた日本が、こうした世界のデータを巡る新たな覇権争いのなかで打ち出していこうとしている大戦略がDFFTということができます

DFFTを日本の地政学的な生存戦略という側面から解説すると、
1.国家によるデータによる支配という、立憲民主主義の考え方とは相容れない考え方を否定したうえで、
2.他方で人権を覇権のためのナラティブとして用いるという立場とも一線を画して
3.法の支配という価値観を共有する信頼できる事業者が、データの取扱いに関する共通ルールを遵守することで、人々からの信頼のもとで資本主義社会における健全な競争を通じてサービスを切磋琢磨し、データやプライバシーの安全が高い水準で確保された高付加価値社会を創出していこうじゃないか、
という呼びかけということになります。

西洋化した価値観を持ちつつも欧州には属さない、覇権の移り変わりもささやかれつつ一国主義を強めていく米国と覇権への意欲を隠さない中国に挟まれた、アジアの先進国国家である日本としては、欧州の大戦略と矛盾しない、アジアという成長市場に身を置く立場を最大限に利用する大戦略を描き出すことは、国家として必要かつ自然なことであります。

Digital Single Marketを掲げて、「人権」という戦略的価値観を武器に、GDPRをはじめ大胆なデジタル規制改革を成し遂げるべく、多大なエネルギーを戦略に投じている欧州。そうしたデジタル時代における覇権をうかがう欧州の勢いを取り入れつつ、DFFTという日本の大戦略を曲がりなりにも実現していくためには、法の支配の価値観を同じくするアジア諸国(オーストラリア、インド、シンガポールといった旧英領のアジア有力諸国と東南アジア諸国)と、DFFTの価値観を戦略的に共有するための連携戦略が重要なことは当然です。しかし、単なる仲間づくりのための動きでは、戦略は実現しません。戦略の実現のためには、デジタル時代の新たなルール・秩序を作るために膨大な政策リソースをDFFT戦略にかけていくことが必須になります。

DFFTは、法の支配の維持のためには信頼あるデータの自由流通が必要であるとの考えのもと、これを民間事業者間の健全な競争を通じて実現することを期する戦略ということができます。DFFTを実現するためには、ルール形成という観点から、日本は以下の4つの分野に投資をしていくことが必要です。

第1に、デジタルというネットワーク効果が働きやすい分野は、独占や寡占が生じやすい分野です。独占や寡占により、プライバシー保護やデータセキュリティといったデータサービスの基本的品質の向上を目指した競争が起こりにくくなる懸念があります。「競争の場」を維持するために、デジタル領域におけるデータの交差点となるプラットフォームビジネスに対して、競争の公正性や透明性の継続的な維持・向上を図っていってもらうため、政府による比例的な介入が必要となります。

第2に、データを取り扱う事業者による自由なデータ流通を実現するためには、事業者に対する社会からの信頼の確保が不可欠です。データを取り扱う事業者が社会から信頼されるために必要な義務の体系と具体的な義務の内容を、各分野で検討するとともに、それを分野横断的に統合していくモデルが必要となります。

第3に、流通される情報自体の品質の確保が必要です。データの自由な流通が確保されたとしても、そこに流れている情報がゴミばかりであれば、なんのための自由なデータ流通か分かりません。思想の自由市場を確保することの重要性ゆえに、情報の品質に政府や規制が過剰に介入することは厳に慎まなければなりませんが、逆に流れる情報が、健全な民主主義を実現するための情報の獲得という価値を阻害するものであるのであれば、思想の自由市場の確保の名のもとに、そのような情報の発信や流通する情報の取捨選択に対して、政府や規制が介入することが正当化されなければなりません。人々に届く情報がゆがめられることで、個人の思想や意思決定、主義主張の形成を操作することができてしまうのであれば、そのような情報をゆがめる行為に対して、断固として立ち向かう必要があることになります。

第4に、以上のそれぞれのルールをどのようにデザインしていけばよいか、ルールのデザインのための方法論の確立です。
ルールというのは法律(そして法律による委任によって執行力を持つ政令や規則)によってのみ社会に実装されるわけではありません。実現したい望ましい社会の姿があったときに、これを実現するための最も制限的ではなくかつ実効性がある方法はなんなのかということを考えたときに、法律化されていない社会規範、マーケットによる人々のフィードバック、そしてデジタルの世界でますます重要になっているソフトウェアが、それぞれのプレイヤーの行動を規律するソースとなっています。技術やビジネスモデルがあっという間に世界中に展開されるデジタルとネットワークの社会では、構想から施行にかけて数年の期間を要する法律に過度に頼った規律モデルでは社会を適切にガバナンスすることができないのではないかという考え方が世界的に支持を得ています。法律に加えて社会規範、マーケット、ソフトウェアの4つのソースをどのように適切に組み合わせて、デジタルの世界を適切にガバナンスしていくかという方法論が問われているということです。

第2回 競争法戦略へつづく

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