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大学のお話

私は大学に行かなかった。

随分昔となるが、四国は愛媛の松山と呼ばれる城下町で育った高校3年生の夏の頃、推薦で行けるらしい…松山や東京のとある私立大学があることを担任の先生から知らされたが、まるで興味が沸かず行くことはなかった…。

それは既に学校教育にうんざりしており、正直、勉強はもうたくさんだと思っていたからだった。そして、大した理由もなく、田舎町の松山から早々と脱出したいとまで思ってしまっていた…。今思えばただの世間知らずのお坊っちゃん。(松山が大変良い街と気が付いたのは松山を離れてからのこと…)

そして愛媛は松山からの、「なんとなくお坊っちゃん上京物語」の始まり。

絵がそこそこ好きだったので(大して上手くはない。実際のところ上のスケッチ程度)、御茶の水にあるデザイン系の専門学校に入学し、なんとなく過ごし、なんとなく卒業し、なんとなくデザイン会社に入社して、しばらくして社会の洗礼を"ガツン"と浴びた。それはまさに衝撃的過ぎて、パワハラの毎日にうつ病の様な症状にもなってしまう程だった。自分自身、まるで地に足が着いていない感覚を覚え、自分は一体何なのか?と、問いかける毎日で、日々模索するも答えが見つかることはなかった…。

そこで思ったのが自分自身の学びの足りなさだった。もっと学ぶ必要がある。しかし、大学で学ぶことは書店や図書館に書籍として並んでいるだろうと思っていた。学びたい本を買って、独学で学べるではないか。いつだってどこでだって自分のペースで…。それからずっと、そう思いながら独学で勉強し、様々な講習会にも参加し、学んだことを実践してきたつもりだった。

しかし、ある歳を目前にし、大した人間になっていないことに気が付いた。社会に対しても左程役に立っていないこともそうだが、そもそも自分の能力を活かし切れていないことにも気が付いた。もっとできるだろうと…。

そして自分が学びたいテーマの授業を受けられる大学を探した。まず学びたいテーマがあり、そのテーマを扱うある程度の大学レベルの授業をリモートではなく、対面で受けたかったのだ。そして二つの大学の授業を受けることができた。最初は息子が通う青山学院大学の経済の授業を1時間30分。夫婦で受けたのだが、人生の分岐点となる程に素晴らしい授業だった。

次が明治大学。6日間に渡る授業だったが一生活かせるのではないかと思える内容で、これまた大変素晴らしかった。2大学の授業共に活かし方は自分次第。さすがに今更4年間も大学に行くことはできないし、そこまで家計を犠牲にして費用を掛けるのもどうなのか?という観点もあるが、大学が行っている授業は、やはり受ける価値があるのではないかと思う。そうではない大学の授業もあるかもしれないが受けたことが無いので分からない…。

たった1時間半の授業でも素晴らしく学べる。今後もまた学んでいきたい。そしてそれを未来に活かしたい。ご参考まで。

さて、今の自分がもし18歳の高校生だったら、大学に行っていたか?
間違いなく松山の大学に行っていたでしょう。by雅秋

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