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乳がん宣告から入院まで

【仕事】

わたしは小学校の教員をしている。といっても産休代替で2年生17人の学級担任だ。新卒から11年間正規で働いたわたしはもう学校の世界は十分な気持ちになり子宮頸部レーザー烝散術を受けるのを機に思い切って退職したのだ。そこから今の夫と付き合い始めたり、世界を旅したり、とてつもなく自由気ままに過ごしたのちに結婚した。
ところがどうしても人不足の教育業界、人助けのつもりで期間限定で復帰した。そして乳がんになった。
良かったことは公務員として正式に高額医療控除が受けられたこと。我ながらナイスタイミングだとおもった。約1ヶ月の病休をいただき、休みに入る前にできる限りの仕事を片付けた。この学校に来てから定時にしか帰ってなかったわたしが、まるで20代のときのように残業をして、所見を全員分書き終えた。晴れて病休に入った時は疲れ切っていて、なんだかみょうにスッキリしていた。
職場でも、たくさんの人の良い面と人間らしい面をみた。あー、本心はやりたくないんだなと思ったり、人はこうやって仕事を擦りつけたり、自分の評判を守りながら誤魔化したりするんだって。その反面、本気の思い遣りや気遣いにも涙した。あー、そんなに関係性ができていない他人にも人はこんなに優しいのかと。それぞれの人の人間性が明白に見えた瞬間だった。いつか自分が逆の立場になったとき、こういう対応を心がけると誓った!

【プライベート】

入院前の3連休、何かものすごく楽しいことがしたくて夫と金沢旅行を計画した。こんなにも旅行ってうきうきしたっけ?と思うほどはしゃいで、美味しいものが大好きな夫と見境なく食べ、1日3食じゃ足りないくらい金沢グルメを堪能した。楽しい思い出と同じくらい不機嫌になったり、喧嘩もしたけれど、感情のままにお互い過ごした!笑 わたしは半ば無理やり夫にお守りを買ってもらい、手術前の勇気を蓄えたのだ。

叔母からオーガニック食材が送られてきたり、義母から核酸ドリンクや美味しい海産物が送られてきたり、叔父からお見舞金をいただいたり、家族や友達からこれでもかと励ましてもらった。周りには愛のある人しかいなくて、そのときの私はやってやる!と何でもできる強気な気持ちだった。まるで戦争に行く前に自分の気持ちを鼓舞する戦士のように笑

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