souer+第1回公演「反復かつ連続」「妥協点P」を観た(2022.01.29 18:00〜)

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第1回 新潟劇王王者の旗揚げ公演を観た。
会場は新潟市中央区にある「新潟市が所有する旧日本銀行新潟支店長役宅」、の、昔は蔵だったスペース。

「反復かつ連続」
ままごとの主宰、劇作、演出を務める柴幸男さんが、2006年の『劇王IV』で劇王に輝いた作品。

素敵な戯曲と素敵な会場である。
が、だから作品も無条件に、掛け算でパワーが得られるとは限らない。
この作品にとっては会場が狭すぎると感じた。相性の問題。

本戯曲の醍醐味は、俳優が一人六役を演じること。
まず一人目の演技を(3分程度?)始めから終わりまで相手役なし(そりゃ一人芝居だからね)で演じ切る。
シーンの最初に戻ると、俳優は次の役として登場、ひとつ前の演技の声だけが音響として流れる。
そのように、新しい登場人物のターンになるたび、それまでの人物たちの演技が重なっていく。音楽で言うとボレロとかカノンとか?詳しくないけどそんな感じ?
最終的にはとある一家の、何でもない朝の風景が立ち現れる。何でもなくはないか。

で、まあ、その、積み重なっていくごとに段々とその空間に見える風景が立体的になってくのが面白い。もちろん俳優がそれぞれの登場人物を演じ分ける技量も大事なんだけど。

今回は、会場の狭さが作品をスポイルしていると感じた。
会場の壁や窓がそのものとして機能していることで、スタート時点でそこを「何もない空間」として設定できないのは結構ハンデだと思う。壁や床の木目や窓が生々しい存在感を発揮してしまう。
かといって、そこはリアルなリビングでも無い。

元々本作は劇王で上演されるために書かれている。
オリジナルはおそらく大ホールの中央に、ざっくり8×6mくらいの汎用性のある無機質な空間を上演スペースとして設定してそこで演じられてる。
別にそれを遵守しなければならないことなんてないけど、やはり移植手術であるのでそれなりの慎重さは必要だったと思う。
シーン自体はスケールの小さな物だけど、試みは「ここに宇宙を作るぞ」みたいなものなので、やっぱりデカい空間が、少なくとも演技スペースよりもひと回りふた回り広い空間が欲しい気がする。
あと単純に人物の動線の重なり方が気になったしね。

一旦ここまで

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