見出し画像

なぜ日本の結婚式がガラパゴス的進化を遂げたのか?の考察〜1950〜

現在でも結婚式の文化に根深く残っている

「ご両家」

という言葉からもわかるように

もともと 結婚とは 個人と個人が行うものでは なく
家と家が行うもの、つまり主催者は家長である父親だったのです。

第二次世界大戦で敗戦国となった日本は
アメリカの属国となり、
1946年に制定された日本国憲法により
人としての生きる権利と自由を手にすることになった
一般市民の間に 急速に欧米文化が普及することになり
「家」に縛られていた結婚に関する価値観もまだまだありながら
結婚が 個人と個人のものであるという考え方もだんだんと
浸透していきました。

その1年後、1947年(昭和22年)に、総合結婚式場である
明治記念館が 設立されました。

現在も受け継がれている結婚式の原型がここで作られます。

戦争でたくさんの尊い若い命が失われてしまったので
なんとか、結婚する人を増やし、新しい命を誕生させて
日本を復興させようという 熱い想いがあってのことだった
と推測されます。

結婚の個人の意思が尊重される文化が普及しつつも、
物資に事欠いていたこの時代、
一般市民にとっては、
ここに行けば、なにもかもお膳立てをしてもらえて、
結婚式の形をととのえられる総合結婚式場の存在は、
どんなにありがたいものだったことでしょう。

そうして、日本においては「パッケージプラン」という
結婚式の文化が根付くことになっていったのです。


そして 1959年 日本の全国民を虜にした結婚式が行われました。

現在の上皇様(平成天皇)と上皇后である美智子様のご結婚式です。


それまでの日本では
「家」のために 結婚することが
人としての使命であり

好きな人と結婚できるかどうかは
「家」の都合で決められることが普通でしたので

皇族の、それも皇太子が
恋愛のもとに、皇族ではない方と結婚するということだけでも
とんでもなく
センセーショナルなニュースでした。

昭和のシンデレラと呼ばれた美智子さまは
その美しさと気品と聡明さのみならず
しとやかでしかも愛に溢れたお人柄で
一躍アイドル並みの人気であり

あんなふうになりたい!という憧れの的でした。


結婚の価値観そのものに革命を起こした
世紀の結婚式がきっかけとなり

結婚式ブームに一気に火がつくことになります。

つづきはまた明日。。

ここまでお付き合いくださった方に感謝を込めて。

いつも記事を読んでくださってありがとうございます。いただいたサポート料金は、耕作放棄地に作る温室ウェディングガーデン設立の費用に当てさせていただきたいと思っています!