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絵画の時間

私は月に一度、知的障がい者の施設でボランティア活動をしています。

ここは重度・最重度の知的障がい者の方々が利用している施設です。

そこで「絵画の時間」のお手伝いをしています。

普段はじっとしていることが難しかったり、奇声を発し続けたりしている人たちも絵画の部屋に来て、先生からクレヨンや絵の具を渡されると黙々と画用紙に向かいます。

画用紙が破れんばかりの勢いでクレヨンを走らせる人。自分が見て、記憶しているものを繊細に描く人。毎回、ほとんど同じ絵を繰り返し描く人。それぞれ個性のある絵を描いています。

ここで大切なのは特別な場合を除いて、絵の具やクレヨンの色はご本人に選んでいただくことです。明るい色が好きな人、暗い色が好きな人、日によって異なる色を選ぶ人。

また、「今日はあまり気がのっていないな」と思ったら無理にすすめることはせず、他の画材や材料を渡すとそちらに興味を示すこともあります。それでもだめなときは「おしゃべり」をしながら過ごします。

ほとんどの方は「自分の絵を見て欲しい」と思っています。「ちゃんと見てるよ」「あ、すごいね」「かっこいい絵だね」と言って笑顔で手を叩くと嬉しそうにまた画用紙に向かいます。

職員さんや私ではなく「先生に見て欲しい」と訴える人もいます。先生に褒められることが嬉しいのです。

この先生はご自身が画家ですが、福祉のことや知的障がい者のことを勉強した訳ではありません。障がい者に絵の指導をするのはこの施設が初めてだそうです。

障がい者だからといってことさらに気を使うそぶりも見せず、「さ、描きましょ」と画材を渡す。それだけで障がい者の方々には何かが通じるのでしょう。「この人が先生なのだ」「この人に褒められたい」と。

それはこの先生に障がい者を思う「心」があるからだと思います。それは決して憐みの心ではありません。上手い下手ではなく、一人一人が持っている絵心を引き出す。それぞれの個性を重んじる。そんな気持ちではないかと想像しています。

言葉だけではなく「心」を通した交流。とても不思議で感動的な光景です。

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