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できない / しない

上達を求めて太鼓の稽古に励んでいたころのある時期、稽古に向かおうとすると気が重くなり、電車に乗れなくなりました。

好きな太鼓の稽古に行くのに何故「行けない」のだろう。
自分でも不思議でなりませんでした。
当初は双極性障害という持病のせいで電車に乗れなくなったのだろうと思っていました。
そんなとき、ハッと気づいたことがあります。
それは、「行けない」のではなく「行かない」のではないか、ということです。

人の行動にはほとんどの場合、目的があります。
では、そのときの私の「稽古に行かない」目的は何か?

そのころ、私はとても厳しい先生に師事していました。
先生の前で太鼓を打ち、講評をいただく。
その厳しいこと。
褒められたことはほとんどありません。
「褒められた」と言ってもせいぜい「前よりはマシになった」という、褒められているのかどうか分からないようなものでした。
毎回、稽古の帰り道は「今日もダメだった」とうなだれていたものです。
もちろん、先生のおっしゃることは納得がいくし、その通りです。
それを実現できない自分が情けない。
そんな気持ちでした。

私が稽古に「行けなくなった」のは、こういう思いをしたくなかったから、自ら「行かない」という選択をしたのではないか。。
「行けなかった」のではなく「行かなかった」。

何ごともその目的が見えると、何故「できない」のか、という課題の解決につながりそうです。

私のこの太鼓の場合はその解決策が見つかる前に、先生がお亡くなりになり、張り合いを失った私は「上達は追求しない」という選択をしたのでした。

しかし、他の面ではできるだけ、「しない」目的を考えるようにしています。
仕事に「行けない」。
趣味が「できない」。
何ごとも長続き「できない」。

もちろん、病気が理由で「できない」こともあります。
それを無理やりすることはしません。
しかし、なんでも病気のせいにするのではなく、「しない目的」がないか、考えてみると何か解決策が見えてくるかもしれません。