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責任感とは?

私は和太鼓を20年以上続けてきました。

この場に何度か書いている(アイス)ホッケーとともに、私が長いこと大切にしてきた趣味の一つです。
しかし、最近、その和太鼓と「もうすっぱり縁を切ろうか」と考え始めています。
この1年ほど、そういう気持ちが日に日に強くなってきています。

自分が上手くなりたい、という気持ちは3年ほど前に捨てました。
どんなに練習をしても、ちっとも上達しない自分に嫌気がさしたのです。

今は、5年前に自分で作った和太鼓の会の運営を主にやっています。
しかし、それももうやめて、きれいさっぱり縁を切りたい。
太鼓の音を聞くのも嫌だ。
そんな気持ちでいます。

理由は、一緒にこの会の運営をしている人との太鼓に対する考え方の違いです。
専門的なことになってしまうので具体的には書きませんが、「考え方」というよりも、あまりに太鼓について無知であることに呆れ、腹が立ってならないのです。
私は「自分が一番良く分かっている」と思っているわけではありません。
ただ、これまで指導を受けてきた人たちから、基本をみっちり仕込まれてきました。
ですから、その基本から外れたことを受け入れることができないのです。

今日もその会の練習がありました。
そして、とても不愉快なことがありました。
許せない。
決して受け入れることはできない。

私は、いったん始めたことを途中で投げ出すことは大嫌いです。
少々嫌なことがあっても我慢してやり遂げるべきだ、と考えています。
まして自分が作り、そこに参加して楽しんでくださっている人たちがいることを考えると、なおさら「投げ出すのは無責任」という思いがあります。
だからこれまで続けてきました。
しかし、ここへきて、嫌なことが頻繁に起こるようになり、今日のように「許せない」と思うほどのことが増えてきました。

いくら責任があるとはいえ、こんな思いをしてまで続けなくてはならないだろうか。
自分の気持ちを犠牲にしてまで責任を果たさなくてはならないだろうか。
趣味の世界で。

こんな思いに揺れています。