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技術の進歩はいいけれど

2005年に公開された映画「もっこす元気な愛」。
脳性麻痺のために両手が自由に使えない青年とその青年を支える健常者の女性との愛情を物語るドキュメンタリー映画です。
この映画では、その青年が両足を使って車を運転するための免許を取得するまでの奮闘を描いています。

昨今、車の自動運転の実用化に向けて関連企業がしのぎを削っています。
自動運転が可能になれば、今は車の運転ができない人たちも、車で出かけるという喜びや利点を享受することができるようになるでしょう。
また、毎日のように報じられる高齢者による悲惨な事故も減ることでしょう。
「もっこす元気な愛」に登場した青年のような苦労しなくても済みます。

一方で、その実現には車自体やそれを取り囲む様々な環境や法整備が必要です。
例えば、事故を起こしたら誰の責任になるのか。
そのときに車に乗っていた人なのか。
或いは、その車の製造業者なのか。
自動運転システムを作ったメーカーなのか。
ナビの不具合が原因だとすれば、そのメーカーが責任を問われるのか。
また、自動運転機能を使わない車との関係はどうなるのか。
などなど。
その解決には膨大な労力を要することでしょう。

技術の進歩は素晴らしいことですが、私が懸念しているのは、それによって人の心がどう変わってしまうか、ということです。
例えば、携帯音楽プレーヤーやスマートフォンが普及している今、人の心はどうなっているでしょう。
電車の中でも道路でも、耳をふさぎ、目はスマートフォンに釘付け。
周りのことには無関心。

登場人物が本物さながらに動くビデオゲーム。
その影響なのか、人を倒し、殺すことをゲーム感覚でしてしまった事件もあります。

技術の進歩は良いけれど、企業による金儲けだけでなく、人の心を豊かにすることにも労力を払って欲しいと思うのです。