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心を観る

こんな経験はありませんか?

自分の悩みごとを先輩や友人に相談した時に、「実は自分もね...」「いや、俺もさぁ...」「俺なんかもっと大変だよ」などと言って先輩や友人が自分の悩みごとや苦労話を話し始める。
結局、こちらが聞き役になってしまい、悩みごとの相談などできずに終わってしまった。

きっと、その先輩や友達も自分のことを聴いてくれる相手が欲しかったのでしょう。
そこへ私たちが飛び込んできたものだから、思わず胸の内を話し始めてしまう。

私たちは多かれ少なかれ、自分のことを誰かに知って欲しい、自分の思っていることを誰かに聴いて欲しい、と思っているのではないでしょうか。
今、SNSがこれだけ普及しているのもそれが一つの理由かもしれません。
しかし、できれば生身の人間同士、面と向かって話を聴いて欲しい。

「ふぅ~ん、そうだったんだ、良かったね。」
「それは、大変だったね。お疲れさま。」
などと相づちを打ってもらいながら話せたらいいですね。

カウンセリングなどの世界では、傾聴、共感、受容といった姿勢で相手の言うことを聴いてくれるようです。
相手の言うことに耳を傾け、喜びも悲しみも共感し、それを受け止める。

そういう友人を持てたらとても幸せなことです。
幸いなことに、私には何でも話せて、このような姿勢で話を聴いてくださる人がいます。
心の中で寄り添い、すべてを受け止めてくれる。

でも、誰にもそういう人がいる訳ではありません
では、誰に聴いてもらえばいいのでしょう。
自分の声を真剣に聴いてくれるのは誰でしょう?
それは自分自身ではないでしょうか?

悲しいとき、腹が立っているとき、辛いとき、嬉しいとき。
「あぁ、自分はこういうことで悲しんでいるんだ。」
「今、自分はあの人のこういうやり方に腹を立てているんだ。」
自分をこういう風に観ることができたら気持ちが落ち着くのではないでしょうか。
そして、その気持ちを何かに書き留めてみると、ただ考えている以上に自分が観えてくるかもしれません。

私もこのようなことをして、自分の心を観るようにしています。
喜び、怒り、哀しみ、楽しみ。
つい涙を流したり、何かに八つ当たりしたりしてしまいます。
しかし、書くことを始めてからは少しずつ気持ちの整理が早くなってきている気がしています。

自分の心の声を自分で聴く、観る、書く。
これからも続けてゆこうと思います。