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過去生の物語(4)

舞台はヨーロッパ。深い悲しみと再生の物語。

陽が落ちるのをずっと眺めている。
私には今、目の前にある夕日が今日のものなのか、それとも何日か前の幻影なのか、それすらわからないほど時間の感覚がなくなっている。
もう何年もこうして窓辺にいるような気がする。
そうしている間に私の髪は白くなり、皮膚にしわが寄ったとしても、私はそれでもかまわないと思っている。
輝く私の髪も、白い肌も、もう何の価値もなくなってしまった。
彼がいなくなってしまったから。

髪も梳かず、服も着替えない私を心配して、侍女がお湯を持ってくるという。侍女は黙ったままお湯にひたした布を固くしぼり、私の腕や首筋を拭いていく。
私は子供のように、されるがままにしている。
侍女はかたい表情のまま、片づけをし、私の部屋を出ていく。
彼女が私に何も意見せず、何かを強いることがないのが唯一私の心をなぐさめている感じがする。
口うるさい者がそばでいろいろと言おうものなら、私はこの窓から身を投げ死んでいただろう。

なぜかわからないが、私はずっと窓辺から離れられないでいた。
それはたぶん最後に彼の姿を見たのがこの窓からで、私はまだ彼の姿を窓から見ることができた。
窓からのぞけば彼の姿が見えた。本当に見えた。

ある晩侍女が部屋に入ってきた。
彼女は何も言わず、いつも通り入ってきたのに、私は彼女がいつもとちがうことがすぐにわかった。
それは目に見えてわかるものではなく、どう表現してよいかわからないが、彼女から発せられるものすべてが違うように感じたのだ。
最初彼女は怒っているのかと思った。でも怒っているのではなく、深く悲しんでいるようにも見えた。
彼女は黙ってスフレののった盆を私の前に置いた。
いつも料理係が焼く、子供のこぶしくらいのスフレだ。

私はスプーンを手に取った。
もしそこで拒否をしたら、私は彼の他に、さらに何か別のものを失うような気がしたからだ。
スフレを一口食べる。
味覚というのは、こんなに強く鋭いものだったのかと驚いた。
あまりに強く、今の私にはとても食べられないような気がした。
スフレが舌にのったとき感触も、のどを通るときの感覚も、初めての体験のように感じた。
私はスプーンを置いてしまう。

侍女は黙って下を向いたままでいる。
でもそれはスフレを食べ進めない私を責めているのではないことはわかった。
彼女はじっと時間が過ぎるのを、私と一緒に待っていてくれるのだ。
どれくらいかして、彼女はスフレの盆を持って部屋をあとにした。
結局私は一口しか食べなかったのだ。
私は心の中で何も言わない彼女に感謝した。

きっと彼女は明日の朝、また黙って何かを運んでくるだろう。
そう思ったときに、私は自分の時間が私の手元に戻ってきたことを知った。

***END***

この物語のテーマは「再生」です。
愛する人を失い、深い悲しみと絶望の中にある女性が、自分の時間つまり自分の生を取り戻すまでの物語です。
愛する人を失ってから、彼女の中には時間の感覚がまるでなくなりました。でも強い意志をもって彼女を救うと決めた侍女の気合いで、時間の感覚を取り戻すのです。そこにはスフレという食のキーワードもあります。
どんなに辛いことが起きても、人は再生する力を持っているのです。


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