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踊り子です

実は、こう見えて、踊り子なんです。

そもそもからお話しすると、遡る事10年。
2012年の夏に、東京から神戸まで、無計画な移動を決行しました。
無謀じゃなく無計画なです。
8月11日の東海道線始発各駅停車で取り敢えず西へ向かって出発。
各駅停車一本で神戸まで行けたら楽なのですが、そうは行かないので乗り換えが発生します。
乗った電車の終点に到着したら、その駅発の次の区間の各駅停車に乗るのが基本ルールです。
お腹が空いたら、改札を出て、駅周辺のプラプラ歩いてお店を探し、適当に食事をします。
また、夕方になり、そろそろ今日は進むのを止めようかな?と思ったら、改札を出た所で、宿探し。
一泊するか、二泊するかはその時の気分次第。
二泊するなら、その町での名所を1日かけて見物です。
名古屋を出た後に、普通なら岐阜・滋賀・京都経由で大阪へ行くルートを選択するのでしょうが、何故かその時は、三重・和歌山経由で大阪へ行くルートを選択。
和歌山で泊まったホテルをチェックアウトし、表に出た所で目の前に和歌山港行きバスの乗り場が目に入ったので、それに乗り港に着いたら、今度は徳島港行きフェリーが目の前に。
行き当たりばったりの旅なので、そのままフェリーに乗ったら夕方徳島港に到着。
そこから徳島駅行きのバスに乗り、降りてビックリ。
町中がお祭り騒ぎでした。
そう、その日は8月15日!本場徳島の阿波おどりの最終日だったのです。
祭りを見るのは大好きなので、その日の宿をどうするかを忘れすっかり阿波おどりの世界に引き摺り込まれてしまいました。
この日この時生まれて初めて生で本場徳島の阿波踊りを見たのですが、次の瞬間思ったのは、何と「踊りたい!」でした。
思ったのは良いのですが、どちらの連にも全く伝手は無し。
東京に住む知人に「かくかくしかじか」と独り言のように呟いた所、返ってきたのは「東京高円寺に阿波おどりがあるよ」という内容。
早速ググってみると確かに「東京高円寺阿波おどり」のサイトが。

これで徳島に移住しなくても東京にいながら阿波おどりが出来る!と思ったのは良かったのですが、高円寺での開催は2週間後にせまってました。
徳島では、観光客も「俄連(ニワカレン)」として踊っていたので、高円寺の俄連の案内を探したのですが、見当たらず。
ガッカリしていた所に目に飛び込んできたのが「ボランティアスタッフ募集」の文字でした。
もしかしたら今年は踊れなくても、どこかの連へ入るきっかけを掴めるかも知れないと、藁をも掴む気持ちで、ボランティアに応募しました。
ボランティアの仕事は大きく二つあり、一つは来場した観光客へパンフレットを配布したり各種ご案内をする事で、もう一つは会場中の掃除をする事でした。
どちらも会場内での活動だったので、各連の踊り子さんや鳴り物さんを間近に見る事が出来、大変興奮した二日間を過ごす事が出来ました。
でも、その時は、私の阿波おどり経験はこれが限界なのかな?と寂しい思いをしたのも事実です。
しかしその後に入った一報が、私の運命を大きく変える事に繋がりました。

何とボランティアスタッフで打ち上げの飲み会をするという連絡でした。
これこそが天から授かった蜘蛛の糸のようなキッカケでした。
ボランティアとして参加されていた人の中にお一人、とある連の連員さんがおられたのです。
もうそうなったらこの人を伝手とするしかないので、自分と阿波おどりの出会いや踊りたい事への思いを一方的にまくしたて、連長さんに会わせて欲しい旨を伝えて連絡先の交換をしました。
しかしこの時は、この先も長い道のりになる事は想像していませんでした。
早速連長に伝えてくれたのまでは良かったのですが、何と連長からの返事はまさかのNo!だったのです。
No!の理由はいくつかあったのですが、そのうち最大のものは私が若者ではない事でした。
55歳から、未経験者が阿波おどりを始めるのは無理だという事でした。25歳だったら話は別で大歓迎だけど、55歳のおじさんは要らないというのです。
普通なら、ここで心が折れて、スゴスゴと身を引く所なのでしょうが、その時の私の「踊りたい」という気持ちは、そんな事ではへこたれませんでした。
一度踊らせてみて、やっぱりダメだと言うのならまだこちらも納得出来るけど、全くやらせもせずに年齢だけで門前払いというのは受け入れられませんでした。
せめて練習にだけでも参加させてくれと食い下がり、その後○月○日が練習日だと聞く度に顔を出し始めました。
その後知った事だと、通常なら、練習見学者に対しては「少し経験してみますか?」という声がけがあるものなのに、私には一切の声がけがありませんでした。
それでもこちらも諦める事なく、聞いた練習日には全て見学に行きました。
これまた普通は、見学者には椅子が出されて、座っての見学なのですが、無視されている私は練習の3時間ずっと立ちん坊でした。
見学に通い始めたのは9月だったのですが、10月、11月、12月、年明けて1月と、ずっと立ちん坊を続けました。
2月の練習にいつも通り見学に行った所、私に根負けしたのか、遂に一人の蓮員さんが「少しやってみますか?」と声をかけてくれました。
「やっとこの日が来た!」と天にも登る思いで「お願いします!」と練習の最初の最初の一歩に参加しました。
そしてその日のうちに入連の手続きもしてくれました。
そこまでして入れてもらった連です。
その後数年間、只の一度も練習を欠席する事なく通い続けました。
当時は会社員だったので、たまに残業で、練習に遅刻する事もあったのですが、わずか一時間でも参加する為にせっせと通い続けました。
その内に「練習には絶対に参加するオジサン」として定着し、私が遅れての参加になる日は、最初私の姿が見えないだけで「あれっ?今日は練習日じゃなかったっけ?」と思われる所まで到達しました。
その後、本場徳島で踊る機会にも恵まれました。
2020年の頭から、練習や出演が中止になる日々が続いてますが、先ずは今年の本番の再開が強く望まれる今日この頃です。
私が、受け入れてもらった連は「写楽連」といいます。

入ってから知ったのですが、写楽連は高円寺の連の中でも歴史のある有名連でした。
常時連員は募集していますので、良かったら皆さん一緒に踊りませんか?
大汗をかきながら「やっとさぁ〜、やっとやっとぉ〜。」と大声を張り上げたら、日頃のストレスやモヤモヤの全てを吹き飛ばす事が出来、充実感、達成感を満喫する事が出来ますよ。

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