引きこもり日誌・23日目

2020年4月30日(木)

 夜。お声がけいただいたオンラインディスカッションに参加する。教育学を専門にされている院生の方々を中心としたあつまり。はじめての顔ぶれ、専門違いの場。しかし最近、そんなところに投げ込まれても、面食らったり躊躇して喋れないということはなくなった——昔からそうではないかというツッコミも心に浮かぶのだが。どのような言説の場に身を置いても、ぼくはなにかしらのことを喋ることができる。そのような確信がある。というのは言葉やテクストや言説に対するぼくの認識に大きく由来していると思われるのだが、それは、いずれも所詮、音なり文字なりの「連なり」にすぎないということにほかならない。そこでぼくたちは、とにもかくにも、音や文字をならべてみせることはできるはずだ。ひたすら並べてみること。そうすればなにか読まれてしまうときもある。あるいは読ませるべく作動する「力」がはたらいていることも少なくない。その力学をぼくは「制度」と呼んでいるが、たとえば「異分野」という標識によって装置化された言説空間のなかでただひたむきに連ねてみせたことばは、本来わかりあえぬはずの「あなた」によって、解らないものである「わたし」のことばとして、理解されようと試みられるだろう。その作用がなにを引き出すのかを自覚すること。ずれと重なりから引き出されるものに思いをはせる。そのとき躊躇いのない身ぶりが立ち上がってくるはずだ。

お金があると本を買えます。