欲しくなったら、さようなら

おはようございます。
あがたの森公園には背の高いヒマラヤスギの並木があります。
6階建てくらいはあるのではないでしょうか。
幹は太く、突き出た枝もしっかりしたもので、巨大なひとがじっと動かずに立っているようです。

月曜日から金曜日、毎朝ちびちゃんとここを歩きます。
周辺には3つの高校があるため、途切れなくやってくる学生たちとすれ違います。
すると、誰かしらに、ちびちゃんはいわれます。
あの子、かわいいー。
ちびちゃんはにこにこして、ぼくを見上げます。
またかわいいっていってる、みんながかわいいっていうよねー。
ほんとだね、かわいいものね。

ぼくたちの会話は相変わらずのものもあれば、しなかった話をするようにもなって、少しずつ変わっていくなにかを感じさせられます。
ちびちゃんはおとなのことを、ひと、と呼び、子どものことは、こどもと呼びます。
ひとになったら声変わる?
ひとになっても仕事はしないからね。
というように。

ところが、ぼくは聞きました。
先日、ヒマラヤスギの並木を歩きながら、彼はこういいました。
おとなになったら、レストランやるんだー。
あ、って思ったんですね。
おとなに変わってるって。
そのことが残念かというと、そうでもないけれど、子どものちいさな変化に触れたときって、妙な気持ちになります。
後ろ姿を見送っているような、離れていくひとへ抱く、憧れのような。

さて、突然ですが、ぼくには欲しいものがありました。
働いているお店にある一脚の椅子です。
座面は草で編まれていて、肘掛けのない比較的ちいさなものです。
展示品のその椅子は、現在作られている規格とはほんの少し違います。
ほんの少し、サイズがちいさく、ほんの少し細い。
ぼくにはそれが魅力的に見えるのです。
以前の規格で作られたものはこの展示品でおしまいです。
時々、座ります。
落ち着きます。
使い込んだらどんな姿になるだろうと想像してみます。すごくいい。
きっと、実際に使い込んだら、想像よりも良いんだろうなということも、わかります。
これからの数十年、ぼくはこの椅子に座り、食べたり飲んだり、読んだり書いたり、つかれたと呟いたり、いい日だったなーと思ったりするのでしょう。
手に入れることができたら、検品の職人さんに見てもらってから、家まで運ぶのだろうな。
帰りに、抱えていけばいいか。
ちびちゃんはなんていうだろう。
妻は?

気がつくと、家にいる時間、あの椅子があることを想像しています。
家具を注文してくださるひとがどんな気持ちでぼくたちと言葉を交わしているのか、以前より少しは、思い量ることができるようになりました。

先日、お越しくださった70歳くらいと思われる男女に、ぼくの欲しいと思っている椅子をおすすめしました。
目に入ると欲しくなる一方だから、気に入ってくれたひとに使っていただくのがいいと思ったのです。
お二人とも、とても気に入ってくださいました。その椅子についての説明をすると、うんうんと肯きながら、愛おしそうに撫でていました。
女のひとがぼくにいいました。
あなた、欲しくならないの?
欲しいです、実は、これいいなあと思ってます。
どんな風にお使いになりたいの?
食事するのもいいし、ソファの横に置いて、読みかけの本を読むのもいいし、ギター弾いたり、なんでも、ここでしたいですね。
だったら、これはあなたのものですよ。
その椅子に腰をおろしていた男のひとはさっと立ち上がり、ありがとう、といいました。
いいですか、これはあなたのための椅子ですよ。
女のひとにいわれ、はあ、とぼくは困ってしまいました。
ぼくには買えませんから。

それからも、ときどき座ってみたり、ちらちらと見てみたり、おすすめしてみたり、お店にあるけれど、半分の半分くらいはぼくのもののような気さえしていました。

そんなある日、というのは昨日のことです。
40代と思われるご夫婦が編物のスツールをお試しに来られました。
うん、いいね、やっぱりいいねと、交互に座っては肯き、にこにこしています。
ぼくは商品の説明をしました。
それから、お気に入りのあの椅子について、お話ししました。
話しながら、まずいなと思いました。
ぼくの言葉をしっかりと受け止めてくれているのを感じたからです。
急にさみしくなり、だけど、感じている魅力を次から次、お伝えしました。
思い描いていた過ごし方のことや、しゃがんで見上げたときの美しさとか。

お二人は最初にお試しになったスツールをお願いしますとご注文してくれました。
それから、

あと、これも。
こちらもですか。

展示品のほうは、お持ち帰りになるということで、ぼくは拭き上げ、傷つかないよう梱包しました。
すてきな人たちのところへ行けることになってよかったね、とほっとしながらも、さみしくて。
あんな気持ちで梱包するのははじめてでした。

彼に抱えられて、ぼくの欲しかった椅子はお店を出ていきました。

きょうは日曜日。
しずかな雨のあがたの森をぼくはひとりで歩いています。








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