解離性/遁走

どうせ、誰にもうまくは伝えられない。

毎朝毎朝、目覚めた瞬間、この目覚めがどこに目覚めたのか、ぼくは律儀に記憶を辿る。

10階、4階、1階、実家の座敷牢、2階、病室a、病室b、また別の4階、そのどこでもなく、ひょっとしたら、あの溝臭い1階かもしれないしあの四六時中ものを焼く匂いに苛まれた2階かもしれない、新宿駅西口の吹きさらしかもしれないし、弘前の近くの Google Map を何度なぞっても思い出せない居酒屋の饐えた奥座敷かもしれない。記憶と怪しい視力を照合する作業を飽きず繰り返して、ここは、ああここだ、と毎朝毎朝いちおうは得心する、が、それは画面に映し出されたゲームに応じ、ほとんど反射的にコントローラーを操る、あの惰性のようなものだ。

或る鍵穴が或る鍵をのみ受け容れるように、どこかに行けば/居れば、ぼくはようやくこの人生に過不足なく《はまる》感覚を知るはずだ、そのような無根拠な妄念をぼくは絶えず持っていたようにも思うが、それも、本当はよく分からない。ともかくも実際、ぼくは必要も無いのに要る物要らぬ物の別なくひたすら振り落としながら、身一つになることを希っていた、憑かれたように動いた。その内的動機は、どうもそんなものだとしか説明できない。

いちどは、その《遁走》の過程で、勢い余って伴侶と娘をも振り落としたのだが、ぼくにはその記憶が無い。そんな日々に、ずいぶん型落ちの軽自動車で東京と九州を2往復半していたはずだが、その記憶もかなり怪しい。

ぼく自身の、それをのみ「のっぴきならぬ」と呼ぶはずの生活は、いろんなことが――本だけはふんだんに読んできたから枚挙どれでも構いはしないが例えば、だ――千葉の友人宅で梅酒を飲みながら読んだ廣津和郎『神経病時代』のあらすじ、それと同じような phase に在る。なぜか5ヶ月しか住むことのなかったあの街の駅前の中華料理屋のタンメンはとても美味かったし、その頃ぼくはデパス2.5mg パキシル60mg はじめ9種類の向精神薬をウィスキーで飲み干していたし、矢折れ刀尽き実家に収容引越し前日に道端に座り込んで飲んだコカ・コーラは何の伏線でもなくこの世の終わりの味がした。ぼくは without fail 東名高速のどこかの中央分離帯に突っ込むはずだったし、中央分離帯に突っ込むはずのぼくは、その先のはじめてのフェリー個室がすごく待ち遠しかった。

このような無節操な饒舌は、まったき沈黙と同じくらい無意味である。なぜなら、どちらもどうでもよいから。額に汗して消しゴムを擦り付け、砂消しゴムサンドペーパーまで動員して、それほどにまで抹消したい来し方は、くちゃくちゃぽい、でない以上、それもひとつの倒錯した、ねちっこい偏愛である。

ぼくは自身を狂人だと思ったことはない。変則的な体型を補う変則的な投球フォームを修正する変則的な握りを調整する変則的な球筋で、ぼくの投げる球はめでたくも「すとらいーっく!」とコールされる、そのように設えてきたから、身体の主だった関節と筋を壊しつくした以外は、やや eccentric ながらも、常識人である。

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